近頃テレビの、路線バスを乗り継ぐ旅が好評だそうだ。
知らない土地で、沿線の人情と触れ合いながら、毎回ハラハラドキドキ、筋
書きのないドラマが展開され、それが人気の秘密らしい。
そんなTV放映で路線バスが見直され、観光客の増加につながっている
のでは・・・と思うが、どうも実情はそうでもないらしい。
その裏には、路線バスならではの特殊な事情が絡んでいると言う。
自身の旅でも時々、鉄道と組み合わせ、路線バスを利用することもある。
そんな時は事前に、時刻を調べておくことは欠かさないが、これが意外と
エネルギーを必要とする。
初めての所では地理が良く解らないから経路が理解できない。
バス停が本当に目的地の最寄りなのかも良く解らない。
殆どの場合、鉄道との乗継でどれ位時間が必要なのか、こんな短い時間
で乗り継げるのか、駅前のバス停がどこにあるのか、すぐにわかるのか、
不安ばかりが先に立つ。
そこにバスが有るのか無いのかさえ解らない。
近頃では、従来からの路線バスが廃止され、代わりに地元自自体が運営す
るコミュニティバスに変っていることも多い。
第一、調べようにもバス会社の名前すら解らないことが多い。
そんなことで、旅行で使おうとすれば、何かとハードルが高い。
考えてみれば当たり前のことなのだが、路線バスは地域に、生活に密着
した市民の足なのだ。
勿論有名な観光地に向けて走る路線バスもあるが、それらはむしろ今日で
は例外と言っていいだろう。
鉄道・バスを乗り継ぐより、マイカーのほうが便利が良い時代だ。
そんな昨今では、かつての観光路線でも廃止の憂き目を見る処は少なくない。
多くの場合バスで巡ることは時間を要し、不便を強いられることになるのだ。
テレビで取り上げられたとはいえ、すぐに観光客の増加につながらない訳
はどうもそんなところにありそうだ。
とは言え、旅先でのバスは苦労も有り面倒ではあるが、乗ってみると良さ
がわかる。
スピードが遅い分、土地の風、その匂いを、十分に肌で感じることが出来、
鉄道とはまた違った趣を感じることがある。
町中で頻繁に停まり、土地の人々の乗り降りも多く、乗客がめまぐるしく
入れ替わる。車内はさしずめ土地の人々の社交の場、あるいはお互いに
息災を確認する場に成っているようで、そんな様子をぼんやり眺めている
のも楽しいし、そのお国訛りが何とも耳に心地よい。
そんな路線バスでは乗り合わせた人々と、通路を挟んで会話を楽しむこ
ともある。銀山温泉に向かうバスでは、途中で降りたおばあちゃんが、手を
振って見送ってくれた事を今でも懐かしく思い出す。
旅の良き思い出である。
しかし、時に一人静かに車窓を楽しみたいと思う事も有り、こんな時空いて
いれば必ず利用するのは、左側の一番前の席だ。
それはたいていの路線バスでは、一人席になっている。
何物にも煩わされることも無く、この目の前に広がる景色を独り占めできる
この席は捨てがたい。
時に自身が、ハンドルを握っているような錯覚さえ覚えるこの席が、何よりも
好きだ。そんな席を自身では、「バスの助手席」、と密かに呼んでいる。(続)
(写真:北海道・留萌~増毛間の路線バス 本文とは無関係)
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