簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

江尻宿 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-03-18 | Weblog
 「駿河健康ランド」で泊まった夜、多彩な風呂をゆっくりと楽しみ、
館内の居酒屋でビールを飲みながらの夕食で腹を満たし、その後、部屋
に戻り長い時間をかけて何とか今日一日分のデジカメ・メモリーの空き
容量を確保した。

 興津宿では最低限の写真を撮ったが、これで次の江尻と府中まで何と
か持たせないといけない。その江尻の宿までは一里強程と直ぐそこだ。





 国道のバイパスを潜り、その先で東海道本線を越えれば、街道は賑や
かな清水の町中へと入り、しばらくは国道1号線を歩く事になる。
辻町で国道と別れ、右の旧道に入り込むその角に、「細井の松原跡」の
石碑が立っていた。
一時は1,000本ほど有ったらしいが、今残るのは一本のみである。





 江戸から数えて18番目の宿場町・江尻はこの辺りから始まり、その半
里先の巴川に架かる河童橋まで、橋を渡ると木戸跡の石碑が建っている。
宿内の人口は6,500人ほどで、家屋も1,300軒余りあり、本陣が2軒、脇
本陣が3軒、旅篭は50軒を数えていたそうだ。

 「ここは馬の少なき所也。されど魚さかなはおほし」と言われる土地
柄で、江戸時代には江戸と大坂を結ぶ清水みなとが繁昌したところだ。
湊には駿府奉行差配の蔵が建ち並んでいたという。





 駿河では次の府中に次ぐ宿場らしいが、今日の街道筋は清水銀座とし
て繁華街に変貌し、当時の面影を感じるものは何も残されてはいない。
本陣跡も木戸跡もすっかり町の喧騒に埋もれ石碑が建つが、目立たない。
今日では江尻という古名より、この清水の方が馴染まれている。(続)




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コメント
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