「南は大洋にして三州地より豆州下田まで海里七十五里、是を遠州灘
といふ」かつて東海道には「並木敷」と呼ばれた土手が連なり、美しい
松並木が伸びていた。この辺り古の東海道は、松並木越しに左に遠州灘
を見通す風光明媚な地であった。
また「むかし舞沢のほとりより 浜名の橋までにつづきて みどりの
松生つらなり、水うみ塩海をへだてて中に一筋の大路あり(東海道名所
図会)」と伝えられるように、浜名湖はかつて閉じた淡水の湖で、太平
洋との間には松並木の続く東海道が通じていた。
舞阪宿を出ると街道は浜名湖に向かい西進し、その先で湖から流れ出
る浜名川に架かる浜名大橋を渡る。
それは枕草子にも名が出てくる古い橋で、長さはおよそ170mと言う。
橋を渡れば暫くして東海道31番目の宿場・橋本(新居宿の前身)である。
浜名湖畔の宿場町として人気で、美しい景観が旅人を引きつけていた。
ところが室町時代、明応7(1498)年8月28日、御前崎沖の南海トラ
フ沿いで発生した地震は、大地を激しく揺らし、巨大な津波を起こし、
それが太平洋沿岸の各地を襲った。
当地も被害から免れられず、辺りは「一里余ノ波シトナリ」、松並木の連
なる街道は脆くも崩れ大地が割れ、「是ヲ今切ト号ス」大被害が発生した。
街道は崩れて消え去り、橋本宿は消滅し、浜名湖は外海と繋がり汽水
湖となった。橋本宿は廃止と成り、新たに対岸に新居宿が開かれ、今で
は幻の宿場町となってしまった。
そして浜名湖を舟で渡る今切の渡しが開かれた。(続)
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