簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

子だが橋(東海道歩き旅・三河の国)

2021-12-08 | Weblog
 東海道は、豊橋魚市場を後にすると豊橋市から豊川市へと入っていく。
少し道を上り、豊川放水路に架かる高橋を渡る。
この少し手前、民家の建つ辺りが市境になっている。





 天気も良く、交通量も少ない旧街道は、歩き日和である。
豊川稲荷で知られる、豊川市の東部地域で、沿道は小さな工場、民家や
田畑の混在する長閑の一帯である。
前方に奥三河の山並みであろうか、左程高くない山々が行く手を遮るよ
うに連なっている。





 暫く行くと、小さな橋を越える。
橋とは言へ欄干が有る訳でも無く道なりで、気を付けていないと見過ご
しそうな程の川だ。両側の堤には木や草が伸び放題で、のぞき込んでも
川面は殆ど見えず、流れがあるかないか分からないような川筋だが、善
光寺川という立派の名前が付けられている。

 橋の正式な名は「小田橋」と言うが、「子だが橋」とも、「子断(こ
だん)が橋」と呼ばれ、ここには切なく悲しい伝説が残されている。



 『一千年程前、この地に鎮座する菟足(うたり)神社には人身御供の
言い伝えがあった。春の大祭が行われる初日に、この街道を最初に通る
若い娘を生け贄にするというものだ。

 祭礼当日の事、贄狩りに奉仕する村人の目に、若い娘の姿が映った。
故郷の祭と父母に会う楽しさを胸に秘めて、暁の街道で足早に橋を渡る
娘であるが、よくよく見れば有ろう事か、我が娘である。



 決まりを守れば、我が娘を生き贄としなければならない。
「如何にすべきか」苦しんだあげく、神の威光の尊さに「子だがヤムを
得ぬ」と、ついに捉えて神に捧げたという。
以来この橋を「子だが橋」と呼ぶようになった。』

 菟足神社の「風祭り」は、毎年4月の第2土・日曜日に行われている。
古来から人身御供が伝承されているが、その後猪を生け贄にするように
なり、今では12羽の雀を贄に代えて神事を行っているという。(続)




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