簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

岡崎城・遠望 (東海道歩き旅・三河の国)

2022-02-14 | Weblog


 何十年振りかの岡崎城下であるが、足の痛さもあり寄り道は出来ず、
それでも道中の写真だけは何とか撮り続けて来た。
案内柱の「いろは」ばかりに気を取られ、今となってはどんな町並で、
何があったのか、殆ど印象に残っていない。
宿場の名物、淡雪豆腐(あんかけ豆腐)を模した、銘菓すら味わうこ
と無くやり過ごしてきた。 



 城下を抜ける二十七曲街道で、うんざりする程幾つかの曲がりを重ね、
ようやく伊賀川に架かる三清橋にさしかかる。
この辺りまで来ると、前方の緑の森の中に岡崎城を見通す事が出来る。
「いろは」の案内柱は「る」となっている。 



 折角のお城だが、手前のビルや深い緑の森に阻まれて、全貌を伺い知
ることは出来ない。
ここは江戸幕府の譜代の臣が代々城主を務め、権威を誇った城であるが、
明治維新により建物は全てが取り壊されている。 




 戦後になった昭和34年に三層五重の天守閣、井戸櫓、付櫓などが再建
され、お城を含めた一帯が岡崎公園となり、茶室や能楽堂日本庭園など
が整備されている。
一角には、三河武士に纏わる「三河武士のやかた家康館」や、「岡崎城
資料館」もあるらしい。 



 またこの辺りの南側一帯は、乙川の河川緑地公園で、嘗てはここに船
着き場が有ったと言う。
「五万石でも 岡崎様は 御城下まで船が着く」
このようにうたわれた川湊が有り、帆掛け船が上り下りしていた。 



 国道248号の八帖の交差点まで来ると、前方に矢作川が見えてくる。
これでようやく複雑な街道「岡崎二十七曲がり」も終わりが近い。

 確かに城下を隈なく歩き回ったような感覚はあるが、結局終わって
みれば、案内の標柱ばかりに気を取らここまで来たような気がする。
ただ歩き続けただけで、何とも罪作りな曲がり道であった。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする