簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

宿場町・岡崎 (東海道歩き旅・三河の国)

2022-02-09 | Weblog
 岡崎城主・田中吉政による城下の整備と「岡崎二十七曲がり」と言わ
れる街道の付け替えで、宿場は整備され家屋や人口も増え、町は繁栄し
大層な賑わいを見せるようになった。

 それは「その賑わい、駿府に次ぐべし」と言われる程の繁栄ぶりが伝
えられている。
宿場は本陣と脇本陣が各3軒あり、旅籠の数は112軒を数え、城下の戸数
は1,565軒もあり、人口は6,500人ほどの規模であったと言う。





 当地は「家康と三河武士のふるさと」と言われるように、神君家康公
出生の地であり、家康が浜松城に移るまでの本拠地であり、無骨な三河
武士の故郷である城下町だ。

 しかし昔から「岡崎女郎衆はよい女郎衆」と唄われ、「昔より、遊女
の名高く・・・」と言い、「妓百余人有り」と当時の道中案内では伝え
られている様に、「岡崎女郎衆」がとみに知られた土地でもある。





 家康所縁の城下町と女郎衆が名高い宿場町では、何となくそぐわない
ように思われる。
しかし宿内に住む男が3,000人余りに対し、女は3400人余りと言うから、
女の方が多く住んでいたことが解る。
その中に女郎衆が100人以上いてもおかしくはなく、街道の評判を得て
いた事も肯ける。





 古い町並は戦災で焼失し、往時の面影を残す建物は殆ど残ってはいない。
街道筋には、東本陣跡、脇本陣跡、西本陣跡、御馳走屋敷跡、籠田惣門跡、
対面所跡などがあるが、何れも案内表示で知るのみだ。

 しかし伝馬通り、連尺通りや、魚町、材木町など、旧町を彷彿とさせる
地名だけは至る所に残されていて、通りも活気ある賑やかな町並である。
それなのに、古の城下町・宿場町の風情を感じさせる不思議な感覚の町で
もある。(続)



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