
レトロな昭和の香りのする「味野商店街」を、何とか以前の活気ある
町にしょうとの取り組みが始まった。
地場のジーンズメーカー等の販売店を、通りの空き店舗に誘致し、集積
させようとの試みである。
国産ジーンズ発祥の地の認知とPRに務め、合わせて商店街の活性化
を図ろうとする「児島ジーンズストリート構想」で、2009年頃の事だ。

構想から十数年を経た今、ゆっくりながらまだ進化を続けている。
通りには、未だに空き店舗やシャッターを閉めたままのところもあるが、
一時はさびれてしまった商店街の通りも、近頃では観光客も多く、ジー
ンズで見事に蘇り、構想は着実に成果が見え始めている。

児島のジーンズは、繊維の町・児島の伝統的な産業の流れとは違い、
戦後新しく持ち込まれたものだ。
それはアメリカの中古ジーンズをモデルに、国産化を図ったもので、
今から50年ほど前から量産が始まった。
これが日本におけるジーンズ生産の幕開けである。

当初は、縫い糸やファスナーボタンなど何もなく、殆どがアメリカ製
だったそうだ。そんななかオリジナル企画による国産ジーンズが初めて
発売されたのは昭和35年のことと言い、世界で初めてのウオッシュ加工
技術の発明は昭和43年の事だ。何れもこの地に本社を持つ企業で、日本
初の女性用ジーンズを手掛けた会社もこの地にある。

こうしたジーンズの一大生産地として発展を見た背景には、生地の裁
断から仕上げ、ストーンウオッシュなどの洗い加工、脱色、ビンテージ
やダメージ加工など、あらゆる技術がこの地に集積していることに有る
と言う。(続)


