簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四日市宿(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-02-20 | Weblog
 広重は、東海道五十三次四日市の画として、三重川を描いている。
橋の上からは、古くは那古浦と呼ばれた四日市の海に注ぐ光景が眺めら
れたという。この浦では春夏の間、蜃気楼が立つことが知られていた。
三重川は御滝川とも呼ばれた、今日の三滝川である。



 三滝橋を渡ると右手に「東海道四日市宿資料館」があったが、生憎閉
館中である。見れば耳鼻咽喉科・福生医院の看板も掲げられた、立派な
和洋折衷の戸建て住宅である。



 江戸時代、問屋役を務めたのがこの屋の持ち主・福生家で、ここに問
屋場があったらしい。明治に入り医者として開業、その後廃院となった
建物を当主が無償で貸与、地元の有志が地域開発の一環で再活用して開
いた施設らしい。



 国道164号線を越えたところが旧町名「南町」、現在の「中部」でそ
の交差点に、文化7(1810)年に建立された道標が立っている。
一般的な道標には、方角が彫り込まれていることが多いが、このものに
は「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」とあり、その方向を示す手の形が彫
られている。



 丁度この辺りが旧宿場町の中心らしい。
かつての宿場は、人口7,114人、家数1,811軒は先の桑名宿に匹敵する規
模で、さらに本陣が2軒、脇本陣は1軒、旅籠も98軒有ったという。
 東海道が整備された当初は、四日市から宮宿に向かう十里の渡し舟が
出ていたが、何時しか渡しは桑名の七里の渡しが主流となった。



 その渡し場跡は、安政の大地震で壊滅的な被害を受け港としての機能
を失った事も禍した。しかし宿場としては、この先にはお伊勢さんへの
参詣道の追分けが控えている事もあり、とても賑わったらしい。(続)





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コメント
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