「安永第一公園」から旧道を少し戻り、常夜灯の建つ角を右折100m
ほど歩いて国道1号線に出て右折し、員弁川に架けられた町屋橋を渡る。
この員弁川は鈴鹿山脈・御池岳に源を発し、南東方向に流れながら伊勢
湾に注ぐ延長凡37㎞の二級河川で、この辺りでは町屋川と呼ばれている。
東海道が整備されると、寛永10(1635)年、ここに橋が架けられた。
「板橋百六拾間、小橋有り」、との記録が残されているらしいので、
凡300m程の橋と中州の向こう側にはそれより短い橋が架けられてい
たようで、この公園が橋の東詰である。
説明板には、江戸中期の頃の絵が示されていて、それによると当時の
橋の中程には、馬が行き違い出来るような退避部分が設けられていた。
その橋も今は無く、明治に入り100m程下流に、幅二間(約3.6m)、
長さ百二十間半(約220m)の木橋が架けられている。
東海道が国道1号線として整備されると、現在の位置にコンクリート
橋が完成し、新たな町屋橋となるのは昭和7(1932)年のことだ。
その後、歩行者用の橋が増設され、現在の鋼桁橋に架け替えられるのは、
凡そ半世紀の後の事である。
将来的には国道は片側2車線の四車線で計画されているが、橋はその半
分の片側1車線で架けられている。
橋を渡り町屋橋南図目の交差点を北に、土手道を100m程歩き、ポンプ
場の角を南に曲がり、再び東海道に戻ると縄生(なお)の集落に入り込む。
この付近の山に長年住みついた三介狐が怪を成し、街道を行き交う旅人
を惑わしたのはこの辺りのことらしい。(続)
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