![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c8/d9cac10cf9d01c457ef9e33e03889aaa.jpg)
臨港鉄道の線路は、市道に面して建つ遊技場の敷地を貫いて、市道を
越えていたらしい。その先は狭い用水路に沿って設けられた遊歩道にな
っていて、これがどうやら線路跡のようだ。
市道を横断し、振り返ると遊技場の店舗駐車場に遮られているのが解る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f3/96503f846c33de13788c51b870b0eeed.jpg)
線路跡の転用道路・泉田福成線は、依然として住宅街の中を行く。
とは言え、浦安本町に入ると道沿いの家並みは所々で途切れはするが依
然続いていて、切れ目からはその奥(南側)の干拓地らしい広大な田畑
の広がりを目にすることが出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ae/8d57df923232d722d91bbf87cccf02ea.jpg)
並木町駅から歩く事1.7㎞程の地点、浦安本町の交差点付近に「岡南
福田駅」があった。
現在物流倉庫になっている辺りで、開業当初は「臨港福田駅」と言った。
単式ホーム2面2線の行違いが出来る駅で、自社の倉庫や近くにある生
コンクリート工場への専用線を持っていた。今もその会社が交差点の先
に見えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/fe/e82cf025955028d4ee533139460108b9.jpg)
戦時中に政府が計画していた、東京から下関間の「弾丸列車構想」は、
戦況が悪化して頓挫したが、岡山県内では、是に連動して旅客列車として
実現しょうとの動きがあったらしい。
現在の大元駅辺りに「新岡山駅」を建設し、新たな交通の拠点にとする
ものである。岡山市役所が大元駅に近い地に立てられたのも、将来の中心
地を見据えた、この構想の一環であったとも言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a0/05d8f1ea273bffae3a2fa68d66ff2a97.jpg)
その大元駅を起点とする臨港鉄道も、児島湾で締め切り堤防の工事が
始まった機会を捉え、締め切り堤防上に線路を建設し、児島湾を横断し、
瀬戸内海に面した港町・宇野まで路線を延伸し、四国連絡とするルート
が検討された。
国鉄宇野線は、干拓以前の旧海岸線に沿って迂回し、距離も長いので、
臨鉄の路線で短絡しょうとするものであった。
しかしこの計画は、後に四国連絡が、現在の瀬戸大橋のルートに決定し
たため、取りやめとなっている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/45/2204b9a3fa9b6831149396a451ffa0d3.jpg)
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