臨港鉄道の廃線跡、歩行者・自転車専用の遊歩道「臨港グリーンアベ
ニュー」は、JR宇野線の高架下にやって来た。
右手に富士倉庫の建物が、更に先には私立認可保育園「大元ちどり保育
園」が建っている。
この倉庫には、当時は大元駅から臨鉄の専用線が引かれていた。
又、旧岡南元町駅に近い姉妹園「ちどり保育園」の園庭には、園児達が
利用する「図書室・ミニ博物館」として、現役を退いた客車キハ7003が
今も置かれているらしい。
これらの建物と高架橋に挟まれた遊歩道は、やがてJR宇野線大元駅前
の広場に繋がり、凡そ2kmの遊歩道は終わりだ。
宇野線は当時地上駅で、それに並び建っていたらしいが、臨鉄の駅がど
の辺りにあったのか、今ではその痕跡は何も無く全く見当も付かない。
古い写真には、宇野線のホームに沿う小さな単式ホームが一面、そこ
に停まる一両の気動車と、奥に駅舎が映っている。
現駅前に立つ観光案内図には、この当時の駅舎の写真が載せられている。
写真には、富士倉庫や岡山操車場(現JR貨物岡山貨物ターミナル駅)へ
の連絡線で有ろうか、脇には側線も映っている。
明治43(1910)年に、岡山と宇野の間に官設鉄道宇野線が開通した。
当時の宇野線は、岡山駅を出ると直ぐにカーブして、現在のルートより
東寄りを南下し、現在の市役所辺りを通り、市水道局庁舎付近に「鹿田
駅」がつくられた。
その後都市計画により、岡山と妹尾の間のルートの付替えが行われた
のは、大正14(1925)年のことだ。
新線には「鹿田駅」に変る新駅が計画された。
当初は所在地に因み「西古松駅」が予定されたが、急遽「大元」に変更
され、現駅名が採用されている。
これには地元に鎮座する、大元教の影響も大きかったと言われている(続)
間もなく「東海道歩き旅 伊勢の国編」が始ります
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ニュー」は、JR宇野線の高架下にやって来た。
右手に富士倉庫の建物が、更に先には私立認可保育園「大元ちどり保育
園」が建っている。
この倉庫には、当時は大元駅から臨鉄の専用線が引かれていた。
又、旧岡南元町駅に近い姉妹園「ちどり保育園」の園庭には、園児達が
利用する「図書室・ミニ博物館」として、現役を退いた客車キハ7003が
今も置かれているらしい。
これらの建物と高架橋に挟まれた遊歩道は、やがてJR宇野線大元駅前
の広場に繋がり、凡そ2kmの遊歩道は終わりだ。
宇野線は当時地上駅で、それに並び建っていたらしいが、臨鉄の駅がど
の辺りにあったのか、今ではその痕跡は何も無く全く見当も付かない。
古い写真には、宇野線のホームに沿う小さな単式ホームが一面、そこ
に停まる一両の気動車と、奥に駅舎が映っている。
現駅前に立つ観光案内図には、この当時の駅舎の写真が載せられている。
写真には、富士倉庫や岡山操車場(現JR貨物岡山貨物ターミナル駅)へ
の連絡線で有ろうか、脇には側線も映っている。
明治43(1910)年に、岡山と宇野の間に官設鉄道宇野線が開通した。
当時の宇野線は、岡山駅を出ると直ぐにカーブして、現在のルートより
東寄りを南下し、現在の市役所辺りを通り、市水道局庁舎付近に「鹿田
駅」がつくられた。
その後都市計画により、岡山と妹尾の間のルートの付替えが行われた
のは、大正14(1925)年のことだ。
新線には「鹿田駅」に変る新駅が計画された。
当初は所在地に因み「西古松駅」が予定されたが、急遽「大元」に変更
され、現駅名が採用されている。
これには地元に鎮座する、大元教の影響も大きかったと言われている(続)
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