
遊歩道を下ると、目の前に総煉瓦造りの立派な建物が見えてくる。
明治45(1912)年に碓氷線の電化に伴い新たに造られた旧丸山変電所の
遺構で二棟残されている。手前が機械室、その右が蓄電室の建物である。
当時このような変電所はもう一カ所同規模のものが、矢ケ崎にも造られ
ていたと言う。

機械室には横川発電所から送られてくる交流電気の電圧を下げ、直流
に変える機械などが置かれていて、蓄電室にはそこから送られてきた電
気を、用意した312個の蓄電池に蓄え、上り列車が来ると放電し、勾配で
消費する電力を補っていたという。

こうして碓氷峠越えを支えた変電所も、昭和38(1963)年に碓氷新線
が開通し、アプト式鉄道が廃止されるとその役目を終えることになる。
内部の機械は全て搬出され、一時倉庫として使われたようだ。
辛うじて建物の解体を免れた建物は荒れるに任せ、倒壊が危惧される時期
もあったようだが、平成に入り、文化財の指定を受けたことで、保存修理
工事が行われ、屋根の壁などの外観が復元され今日の姿になったという。

入口を入るとまず、鉄骨で補強された壁や天井が目に入る。
機械の基礎の遺構で有ろうか、切り込まれた溝、割れたタイル、コンク
リート剥き出しのまるで廃墟のように荒れた床が痛々しい。
そんな中一際目を見張るのが巨大なブレーカーを収めた構造物である。

外観もよく見ると新しい煉瓦で補修が施されている。
鉄道施設で過度の装飾はないが、堂々とした落ち着いた造りは、周囲の
緑の中に良く溶け込んでいる。側面の風貌は、長崎辺りの教会建築を思
わせる仕上げで、当時の建築技師の技術の高さと心意気を垣間見たよう
な気がする。(続)



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