何十年振りかの岡崎城下であるが、足の痛さもあり寄り道は出来ず、
それでも道中の写真だけは何とか撮り続けて来た。
案内柱の「いろは」ばかりに気を取られ、今となってはどんな町並で、
何があったのか、殆ど印象に残っていない。
宿場の名物、淡雪豆腐(あんかけ豆腐)を模した、銘菓すら味わうこ
と無くやり過ごしてきた。
城下を抜ける二十七曲街道で、うんざりする程幾つかの曲がりを重ね、
ようやく伊賀川に架かる三清橋にさしかかる。
この辺りまで来ると、前方の緑の森の中に岡崎城を見通す事が出来る。
「いろは」の案内柱は「る」となっている。
折角のお城だが、手前のビルや深い緑の森に阻まれて、全貌を伺い知
ることは出来ない。
ここは江戸幕府の譜代の臣が代々城主を務め、権威を誇った城であるが、
明治維新により建物は全てが取り壊されている。
戦後になった昭和34年に三層五重の天守閣、井戸櫓、付櫓などが再建
され、お城を含めた一帯が岡崎公園となり、茶室や能楽堂日本庭園など
が整備されている。
一角には、三河武士に纏わる「三河武士のやかた家康館」や、「岡崎城
資料館」もあるらしい。
またこの辺りの南側一帯は、乙川の河川緑地公園で、嘗てはここに船
着き場が有ったと言う。
「五万石でも 岡崎様は 御城下まで船が着く」
このようにうたわれた川湊が有り、帆掛け船が上り下りしていた。
国道248号の八帖の交差点まで来ると、前方に矢作川が見えてくる。
これでようやく複雑な街道「岡崎二十七曲がり」も終わりが近い。
確かに城下を隈なく歩き回ったような感覚はあるが、結局終わって
みれば、案内の標柱ばかりに気を取らここまで来たような気がする。
ただ歩き続けただけで、何とも罪作りな曲がり道であった。(続)
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