赤い鳥居の映える日尾八幡社の前を曲がり、県道40号に入る。
住宅や商店が立ち並ぶ狭い道なのに、行きかう車が多い。
時折歩道がなくなることもあるので、対向する大きな車が横を通ると恐ろしいほどだ。

その県道を外れると道は、墓地の間を山に向かい緩やかに上っていく。
500メートルほど歩くと、簡素な作りの山門の前に広がる広場に着いた。
ここにもアイスクリン屋さんが暇そうに客を待っていた。

その駐車場にバスが一台停まっていた。先ほど浄土寺にいた団体であろうか。
ここは札所間が近いので、歩きもバスも大して変わらないようだ。
第50札所・繁多寺は、「はたでら」とも呼ばれ親しまれている。
一遍上人が七年間ここにとどまって修行を積まれたというゆかりの寺で、かつては
末寺百寺以上、三十六坊を持つ大寺院であった。

今、淡路山の中腹に建つお寺は、広い境内の正面に本堂、右に大師堂、左に庫裡を
持つ程度で、当時の繁栄を窺い知るようなものは何も感じられない簡素な札所である。
ここでも静かな境内に、読経の声が大きな塊となって響いていた。

寺は、松山市郊外の高台にある。
ここからは市街地が一望で、ひときわ高い勝山の頂上には、松山城らしい姿も遠望
できるが、その前に何か塔のようなものが立ち塞がり、こちらからは、お城が串刺し
されているように見え、はなはだ様が悪い。(続)

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住宅や商店が立ち並ぶ狭い道なのに、行きかう車が多い。
時折歩道がなくなることもあるので、対向する大きな車が横を通ると恐ろしいほどだ。

その県道を外れると道は、墓地の間を山に向かい緩やかに上っていく。
500メートルほど歩くと、簡素な作りの山門の前に広がる広場に着いた。
ここにもアイスクリン屋さんが暇そうに客を待っていた。

その駐車場にバスが一台停まっていた。先ほど浄土寺にいた団体であろうか。
ここは札所間が近いので、歩きもバスも大して変わらないようだ。
第50札所・繁多寺は、「はたでら」とも呼ばれ親しまれている。
一遍上人が七年間ここにとどまって修行を積まれたというゆかりの寺で、かつては
末寺百寺以上、三十六坊を持つ大寺院であった。

今、淡路山の中腹に建つお寺は、広い境内の正面に本堂、右に大師堂、左に庫裡を
持つ程度で、当時の繁栄を窺い知るようなものは何も感じられない簡素な札所である。
ここでも静かな境内に、読経の声が大きな塊となって響いていた。

寺は、松山市郊外の高台にある。
ここからは市街地が一望で、ひときわ高い勝山の頂上には、松山城らしい姿も遠望
できるが、その前に何か塔のようなものが立ち塞がり、こちらからは、お城が串刺し
されているように見え、はなはだ様が悪い。(続)



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