「大門」は結界の入口であり、ここを潜ればそこは清浄な仏の世界である。
1705年に再建された高さ25m幅21mの巨大な朱色の門の両脇には、江戸
時代の仏師による金剛力士像がそこを守っている。

一般的には、ここから入り「壇上伽藍」「金剛峯寺」を経て、「奥の院」に向
かうのが正式な参拝のルートとされている。

「大門」から東に500mほど歩くと「壇上伽藍」がある。
「奥の院」と並んで二大聖地の一つと言われる場所で、ここは空海が最初に
堂宇を建てた場所でもある。

その入り口が「中門」だ。
五間巾二階建ての楼門で、正面の両脇には持国天と多聞天が、裏に回る
と胸元にトンボ(前に進み、後には引かない意)を付けた増長天と、セミ(遠
くを見通す千里眼の意)を付けた広目天が祭られている。

潜れば左手が「金堂」だ。
819年の創建で過去に6度も消失したが、その都度建て直され、昭和7年に
再建されたのが現在の建物だという。

昭和元年の火災では本尊も消失してしまい、その後高村光雲が高さ5m
に余る本尊の薬師如来を作り秘仏となっているが、1200年祭に合わせ御
開帳された。
この本尊は光雲の自宅で製作されたが、大きすぎて部屋から出せず、
自宅の玄関や隣の塀を壊しやっとの思いで出した・・・と言うエピソードが
知られている。

「金堂」とは対照的に朱色も鮮やかに立つのが、この地における修行の
中心的な建物で、高さ48mの「根本大塔」である。
建物自体が大日如来のお姿を現しているとされ、我々はその胎内に入り
込むのだと言う。
内部は仏の教えを立体的にした、立体曼荼羅の世界が表され、目に焼き
付くような内装は、空海が仕掛けた壮大な空間でもある。(続)
「結願成就の道」 ホームページにアップしました。


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1705年に再建された高さ25m幅21mの巨大な朱色の門の両脇には、江戸
時代の仏師による金剛力士像がそこを守っている。

一般的には、ここから入り「壇上伽藍」「金剛峯寺」を経て、「奥の院」に向
かうのが正式な参拝のルートとされている。

「大門」から東に500mほど歩くと「壇上伽藍」がある。
「奥の院」と並んで二大聖地の一つと言われる場所で、ここは空海が最初に
堂宇を建てた場所でもある。

その入り口が「中門」だ。
五間巾二階建ての楼門で、正面の両脇には持国天と多聞天が、裏に回る
と胸元にトンボ(前に進み、後には引かない意)を付けた増長天と、セミ(遠
くを見通す千里眼の意)を付けた広目天が祭られている。

潜れば左手が「金堂」だ。
819年の創建で過去に6度も消失したが、その都度建て直され、昭和7年に
再建されたのが現在の建物だという。

昭和元年の火災では本尊も消失してしまい、その後高村光雲が高さ5m
に余る本尊の薬師如来を作り秘仏となっているが、1200年祭に合わせ御
開帳された。
この本尊は光雲の自宅で製作されたが、大きすぎて部屋から出せず、
自宅の玄関や隣の塀を壊しやっとの思いで出した・・・と言うエピソードが
知られている。

「金堂」とは対照的に朱色も鮮やかに立つのが、この地における修行の
中心的な建物で、高さ48mの「根本大塔」である。
建物自体が大日如来のお姿を現しているとされ、我々はその胎内に入り
込むのだと言う。
内部は仏の教えを立体的にした、立体曼荼羅の世界が表され、目に焼き
付くような内装は、空海が仕掛けた壮大な空間でもある。(続)
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