簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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複雑に絡む国境 (東海道歩き旅・山城の国)

2024-08-21 | Weblog
 

 地理院地図で確認すると、逢坂の月心寺を越える辺りから、国道や京
阪線と平行する様に県境が引かれていて、北側のそれらは滋賀県だが、
南側の山塊は京都府となっている。

 名神高速の高架を潜ると、道は滋賀で左手の家並みは京都である。
京都に住民税を払う人々が、玄関を一歩街道に踏み出すと滋賀県の道の
お世話になると言う事になる。



 髭茶屋追分けを過ぎると県境は少し南に後退し、両側の家並みは滋賀
となる。
 江戸時代には、逢坂越えからこの追分けに到る辺りまでは、江戸幕府
直轄の天領であった。又この山城国・横木は園城寺(三井寺)領で、南
側は山城国・山科領で天皇の領地・禁裏御料であった。



 この京に近い入口の地は、山城国とは言え、異なる領主が治める領地
が複雑に接する地で、それだけ交通の要衝として重要視されていた事を
示している。

 そんな曰わくの有る国(県)境も、「三井寺観音道」の道標の建つ、
小関越え追分けから180m程西進し、横木から四ノ宮(しのみや)に入
るとようやくにして京都府に入る。



 境には四宮川が街道を横切っている。
昔は四宮河原と呼ばれ、ここに石橋が架けられていたと言う。
四ノ宮の名前の由来は、山科のこの地に隠棲した仁明天皇の第四皇子、
人康(さねやす)親王に由来している。



 武蔵の国から始まった東海道は、相模国から、駿河国、遠江国を経て
愛知県に入り三河国から尾張国、三重県に入り伊勢国で鈴鹿峠を越えた。
 続けて滋賀県の近江国を抜け、県境を越えればいよいよ最後の山城国、
今日の京都府で東海道五十三次の終点が待っている。(続)



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