簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

安堵の到着(東海道歩き旅・山城の国)

2024-10-25 | Weblog
 「ああ~、着いた~ァ~」

 ようやく五十三次の終点・三条大橋に辿り着いた。



 四国八十八カ所を歩き終えた後、東海道歩きを思い立ち、お江戸日本
橋から西に向けて歩き始め、五十三次を歩き終えた。

 飛び上がり叫びたくなるような感動が爆発するとかと思ったが、意外
にも冷静で、最初に出た言葉はやり遂げた感動ではなく、無事に辿り着
けた安堵のこの小さな一言であった。



 道中健康障害もなく、事故にも遭わず、恙なく、天候にも恵まれた。
最も晴れの日を見極めて計画を立て歩いて来たので、突然の俄雨にこそ
何度も出会したもの、大雨で難儀をする事も無くここまで順調に歩いて
くる事が出来た。



 コロナ禍での4年に渡る足踏み、自身の感染による体力低下もあった。
取り分け加齢による脚力の衰えは顕著で、出かける度毎に一日の歩行距離
は縮んでいった。
中でも、峠越え道は苦手で、牛歩のような歩みは時間ばかり要してきた。
そんなこんなで予定以上に日数は要したが、どうにかここまで辿り着いた。



 その大橋は、現在改修が進行中で、歩道が規制されていた。
にも関わらず、橋の上は多くの人が無秩序に行交い、通行する車も引っ
切り無しで、観光地らしい様相をみせている。
そんな中人混みに紛れ、歩き旅の上がりの橋を一人密かに感慨深く渡る。



 渡りながらふと考えた、次は東海道57次を歩いてみようと。
江戸幕府は、西国大名達が京都で朝廷に接触するのを嫌い、大津の髭茶
屋追分けから、伏見、淀、枚方、守口を経て大阪・高麗橋に到る道を参
勤交代のルートとして定めている。



 大坂からは京街道、京都からは大坂街道と呼ばれた、淀川左岸に沿った
道である。次はこの道を歩いてみよう、と決意を固めるのである。(続)



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