簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

彌彦神社の門前町 (JR全線乗潰しの旅)

2013-08-07 | Weblog


 この弥彦の町は門前町であると同時に、嘗ての北国街道の宿場町として栄えた
ところでもあり、特別にこの辺りの道筋は、弥彦街道とも呼ばれ、大そうな賑わいを
見せていたと言われている。



 その街道筋には民家と混じり土産店や老舗の旅館が立ち並び、門前町・宿場町、
そして近年では温泉町としても知られ、往時の繁栄には及ばないまでも、観光地
として今も昔も生き続けている。





 外苑坂通りの左手に広がる弥彦公園の一角に「湯神社温泉源泉」がある。
『狩りで歩き疲れた一人の猟師が、仕留めそこなった山鳥の後を追って、林中を彷徨
っている時に、偶然鳥獣たちが湯浴みをしている池を見つけ、自身も浸かってみたら
不思議なことに疲れが癒されたことから、「弥彦の霊泉」と呼ばれるようになった』の
が起源とされている。



 外苑坂通りを右折すると神社通りに出る。
文字通り越後の国の一宮・彌彦神社の門前に行き当たる通りで、参道の両側には、
おでんや田楽、温泉まんじゅうの看板を掲げたお店が軒を連ねている。
 神社の霊験に纏わる伝説のある、弥彦の銘菓「玉兎」の看板も多く目にする。



 街並みの喧騒を遮る一の鳥居を潜ると社域に入る。
参道両側には多くの献灯が飾られていて、祭り気分を盛り上げている。







 638mの弥彦山を背後に控えた、越後平野の中央に鎮座する神社は、鬱蒼とした杉や
欅の老木に覆われた広大な社域に、多くの社殿が点在し荘厳な気を漲らせている。(続)




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弥彦駅と観光駅長 (JR全線乗潰しの旅)

2013-08-05 | Weblog


 弥彦の駅舎は、彌彦神社の本殿を模した神社風の入母屋造りで、黒い本瓦葺き、
白い壁に朱塗りの格子状の柱が印象的な建物である。
 駅舎内部も意外に広く造られていて、白壁に格子天井が神社の拝殿内部を思わ
す造りとなっている。



 駅前広場には、大きな常夜灯や神社参拝の手水舎などが造られていて、ここにも
門前町の駅と言う味が有り、なかなかに面白い。





 駅前の一角には廃業したホテル跡も残されたままで、往時は多く訪れる参詣者を
捌いていたのであろう、かつての賑わいが思い浮かぶ。

 広場右手に、観光案内所があり尋ねれば弥彦観光駅長の顔写真入りの「来駅証」
が貰えるので立ち寄ってみるのも良いだろう。



 この観光駅長は国鉄民営化に伴い昭和63年に初めて女性が任命され、以後何代
も続けられていたようだが、近年に成ってその制度が終了したためそれを受け、地元
の観光協会の女性職員が観光駅長を兼務し、活動しているとのことである。



 降り立った駅前の広場には、紅白の提燈が飾られていた。
駅前から続く街並みの人家の軒先には、白い大きな提燈も吊り下げられている。
今晩取った駅前の温泉旅館の玄関先にも紫の幕が張り巡らされ、「弥彦灯籠まつり」
「御祭礼」と書かれた提燈が掛けられていた。





 フロントで聞くと、今は「弥彦灯籠まつり」の開催中で、今日の夕方にはお神輿の
巡行が有り、夜には花火が打ち上げられると言う。(続)





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越後線と弥彦線 (JR全線乗潰しの旅)

2013-08-02 | Weblog
 



 まだまだ見たいところは沢山あり、後ろ髪引かれながら両津の港に戻り、お昼過ぎの
フェリー「おおさど丸」で新潟に渡る。





 今晩の宿の有る弥彦温泉には、新潟からJRで向かうことになる。
越後線で途中の吉田まで行き、そこで弥彦線に乗り換え終点の弥彦を目指す。



 越後線は文字通り越後の国・新潟と柏崎間を走ることから名付けられている。
日本海に沿って延びているが、その海は残念ながら見えそうで見えない。

 新潟から弥彦線の乗換駅吉田までの所要は1時間弱で、通勤・通学圏内なのか、
区間運転の本数も多く便利が良い。
しかしその先の柏崎までは、朝夕は概ね1時間に一本、昼間は2時間に一本程度の
運行しかない。この間を直行する電車の本数は少なく、吉田での弥彦線との接続も必
ずしも良いとは言えない。



 弥彦線の歴史は意外に古く、大正の初めころに前身の越後鉄道が、吉田から弥彦
まで、越後の国の一宮・彌彦神社への参詣鉄道として開業している。
 そして、大正末頃には、東三条-吉田間が開通し今の形に成り、越後平野を横切
る17.4kmの途中燕三条では、上越新幹線と接続をしている。



 終着の弥彦駅は越後の国の一宮・彌彦神社の門前駅で、行き止まり駅である。
ホームが結構な長さがあるところを見ると、嘗ては多くの参拝客を乗せた長大編成
の列車が発着していたのであろうか?





 今では長いホームに人影も少なく、閑散と静まり返っている。
途切れた線路の向こうには広大な弥彦公園の緑が広がっていて、その先には弥彦
山が見える筈だが、生憎低く垂れこめた雲に覆われていてその姿を見ることが出来
ない。(続)




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