簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

中国勝山・檜舞台(JR乗り潰し・姫新線)

2018-03-07 | Weblog
 勝山は岡山県の北部、中国山地を悠然と流れる旭川にそって開けた
山里である。旧出雲街道と旧美作街道が交わる宿場町として、また高
瀬舟の発着場として、さらに二万三千石の城下町として、そして何よ
りも林業の町として栄えていたところだ。



 姫新線の沿線では比較てき大きな中国勝山駅は、相対式ホーム2面2線
を持つ駅で、かつての名残の貨物用のホームも残されている。
駅舎は平成に入り建て替えられたもので、一階建てコンクリート造り瓦
葺の建物で、堂々とした商家風の佇まいを見せている。 



 旭川の川岸には、今でも高瀬舟で賑わった発着場の石畳が残されている。
当時は陸運よりも水運が中心で、この地から下流60キロに位置する岡山に
は下り荷として鉄や木炭などを、上がり荷は塩や砂糖などの生活必需品が
運ばれていた。
大正の末期頃、水運で栄える旭川流域の落合、久世、勝山などに鉄道が開
通すると、海運は次第に衰えを見せ、終には衰退することとなる。



 駅を出て車の往来の激しい国道181号線を横切ると、何やら変わった雰囲
気の通りが有る。新町商店街の通りで、その入り口には「檜舞台」と書かれ
た巨大な門が築かれていて、その先道の両側には檜で作られたアーケード
が連なっている。
勝山は昔から林業の盛んな街で、それを象徴するものだそうだ。





 そんな通りの歩道の、所々に黒い石が埋め込まれている。
この地方特産の「高田硯石」の原石らしい。通りには制作販売の店もあるが、
今では制作する職人の数が激減し、貴重なものに成っているらしい。(続)





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久世宿(JR乗り潰し・姫新線)

2018-03-05 | Weblog
 久世は旧出雲街道の美作7宿の一つ、久世宿が置かれた町である。
古くから旭川を使った高瀬舟による舟運や、大山道への追分として、
また牛馬市が立ち博労問屋などが建ち並ぶ、水陸の要、一大集散地、
商業の中心地として繁栄したところらしい。



 残されている記録によると当時の町屋の数はおよそ400軒、人口が1500
人余りと言うから街道筋では比較的大きな宿場町であったことがわかる。



 旧遷喬尋常小学校を背に、車の往来の激しい国道181号を横切り、数十
メートルも歩くと東西に流れる通りに出くわす。
丁度この道筋が旧出雲街道に当たり、その宿場町もこの周辺に広がってい
たと言う。通りはアーケードに覆われたどこの地方都市にでもありそうな
商店街で、曜日のせいもあるのか、人通りも少なく、御多分に漏れず閉め
られたままの店も多い。



 そんな通りには所々に伝統的な漆喰塗白壁の威容を誇る商家がいくつか
あり、当時の面影を今に伝えている。道筋に立ち並ぶ屋並みは低く、平入
の庇の揃った造りで、これはこのあたりの旧出雲街道沿いの宿場町で良く
見受けられるものだ。



 そんな中では三坂川に架かる天神橋の辺りはなかなかにいい雰囲気で、
そのたもとには、「華蔵庵の松」と言われる樹齢360年、樹高18m、県下
でも最大級のクロマツが聳え立ち宿場町の風情を一層盛り上げている。



 商店街を抜けると旭川の堤防に出る。ここらあたりにはウオーキング
コースが設定されていて、この桜並木が続きく堤防路は、花の咲くころ
には見事なトンネル道になると言う。(続)





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旧遷喬尋常小学校(JR乗り潰し・姫新線)

2018-03-02 | Weblog
 平成5年5町4村が合併し、県下でも最大の面積を誇る真庭市が
誕生した。北部には蒜山高原や津黒高原のある中国山地を擁し、
南部は吉備高原に属す南北に長い地勢で、おもな産業は林業と言
う山間の地である。
そんな同市の中心的な役割を果たしているのが旧久世町である。



 JR姫新線の久世駅を背に、その前を走る国道181号線に出て左折、
東に900mほど行くと旧久世町の中心地で、市役所や福祉会館、図書
館や税務署、郵便局などが立ち並ぶ付近に、「久世エスパスランド」
が有る。





 稼働率90%以上を誇る大ホール、図書館・学習室・ギャラリーなど
擁する文化施設で旧久世町の合併30周年を記念して建てられたものだ。
その敷地に充てられたのが「旧遷喬尋常小学校」の跡地である。



 今その一角に「旧遷喬尋常小学校」の校舎が残されている。
その外観は完全な左右対称で、両側より正面の部分は少し迫り出し
ていて厚みがあり、アーチ状に開けられたそこが玄関となっている。
その両側は更に張り出し、板張りの壁には飾り窓が作られている。



 この校舎は明治40年に建てられた、木造のルネッサンス様式による
擬洋風建築と呼ばれるもので、日本でも屈指の優雅な美しさを醸して
いる学校建築と言われている。
平成2年その役目を終え、その後国の重要文化財の指定を受けている。



 特に二階の講堂の見事さには目を見張る。
中央に設けられて舞台、黒光りのする床板、天井の造り(二重折り
上げ格天井と呼ばれるらしい)には圧倒される。内部の各教室も当
時のまま残されていて、今にも子供たちの声が、どこからか聞こえ
てきそうなそんな、そんな懐かしい佇まいを見せている。(続)



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