簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

新庄宿(JR乗り潰し・姫新線)

2018-03-14 | Weblog



 旧出雲街道は、古くから大和と出雲を結ぶ街道で、国造や国司などの
赴任で、或いは江戸時代に入れば山陰地方の大名等が参勤交代で上り下
りする重要な道である。
またこの道は、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇や、元弘の変で捕らえられ
た後醍醐天皇が、隠岐島に流される折辿った失意と絶望の道でもあった。



 岡山県内北部ではほぼJR姫新線と同じようなルートを辿った旧出雲
街道は、勝山宿出るとそれとも別れ、いよいよ中国山地越えに挑むべく
新庄川に沿って北上し、途中美甘宿を経て美作最後の宿・新庄に向かう。



 峠を控えた新庄宿は、これから越える旅人は英気を養い、下り終えた
旅人が暫しの休憩で足を止めるなどで大層な賑わいを見せていた。
元禄の頃は47軒の家が建ち、江戸の末期には100軒余りに増えた町並みが
形成され、その中には旅篭は9軒あったと伝えられている。



 街道の道筋に当時の建物はあまり残されてはいないが、弁柄色と呼ばれ
る赤茶色の瓦葺屋根の建物でほぼ統一された低い平入の屋並みは美しく、
旧宿場町らしい趣を醸し出している。
そんな中、江戸時代末期の建てられたと言われる脇本陣「向馬場屋」が残
されていて、内部は公開されている。



 街道はゆるく上りながら北を目指し、宿場を抜ければ山道に転じその先
には、道中の最大の難所ともいえる四十曲峠(770m)が待っている。
四十とは始終の意味らしく、初めから終わりまで曲がりっぱなしの峠道を
越えればいよいよ伯耆の国、日本海の潮の香りが近くに感じられてくる。(続)





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