簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

聖地 (津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-08 | Weblog

 鉄道好きにとっての「聖地」と言えば、各地にある「鉄道博物館」と言った
ところであろうか。JR各社では、東日本が20周年を記念して大宮につくった
「鉄道博物館」、歴代の新幹線などを展示するJR東海が名古屋市につくった
「リニア・鉄道館」、このほどリニューアルオープンしたJR西日本の「京都
鉄道博物館」などがその代表であろう。
当然「津山まなびの鉄道館」もその仲間に入れておきたい。





 ところで、「聖地」を広辞苑で調べると「神聖な土地」或いは「神・仏・聖
人などと関係ある土地」などと書かれている。
本来は宗教的な意味合いの言葉で、キリスト教のローマ、イスラム教のメッカ、
ユダヤ教のエルサレム、仏教ならブッダガヤや、国内の宗教施設なら高野山や
比叡山など、その土地そのものが「聖地」として尊崇の対象となっている。





 時にこの「聖地」は色々な所、様々な形に転用される。
スポーツ・芸能・イベントなどの会場やその開催地、映画やアニメの撮影地や
ゆかりの場所などはよく「○○の聖地」「○○のメッカ」などと呼ばれたりする。

 つい最近では有名なシンガーソングライターが、年末の歌番組で舞台として
使用した美術館が、フアン達の間で「聖地」として崇められ、たちまち入館者
が激増したと報道されたことは記憶に新しい。





 又全国各地の観光地に行くと「恋人の聖地」の案内板を見かける事もあり、
調べてみるとこれは現在では全国に130か所以上もあるそうだ。
地域活性のため風光明媚な場所や、ロマンティックな雰囲気の味わえるとこ
ろなどを整備して売り出すのだが、それを認定する団体まで存在する。
(写真:津山まなびの鉄道館の保存車両)(続)




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津山まなびの鉄道館(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-05 | Weblog

 中国山地に位置する津山には、開業当初から機関区が開設されて以来、山陽
と山陰を結ぶ鉄道の結節点として、重要な役割を果たし続けてきた。
この地に巨大な機関車庫が完成するのは昭和11(1936)年の事である。

 一昔前なら、鉄道で旅をしていると主要な駅の構内では、SLの煙で壁を黒く
汚した機関車庫や、機関車の向きを変える転車台をよく目にしたもので有るが、
近頃では殆ど見なくなってしまった。しかしこの地にはそういった鉄道遺産が壊
されることもなく、連綿と受け継がれ、使い続けられてきた。





 そんな「津山扇形機関車庫」が2016年4月、「津山まなびの鉄道館」として
装いも新たにリニューアルオープンし評判になっている。
旧津山機関区の事務所には、社会や地域の発展と鉄道の関りを学ぶ「あゆみ」
「しくみ」「まちなみ」のテーマルームが設けられた。
改装された扇形機関車庫には、貴重な13の車両が収蔵されその姿が一般に公
開されている。





 2010年まで大糸線で活躍した「キハ52-115号機」、鳥取で使用されていた
「キハ33-1001号機」、国内で1台のみ製造され国産最大最強のエンジンを誇る
ディーゼル車「DE50形1号機」や、「DD51形1187号機」、蒸気機関車「D512
号機」などで、これらはどれもフアン垂涎の的らしい。





 かつてD51 755号機(蒸気機関車)に使われていた汽笛は「旅立ちの汽笛」
として残されている。構内で開かれるイベントでは、1930年に製造された転車
台の実演と共に吹鳴され、懐かしい音を聞くことも出来る。
装いも新たな再出発を遂げたこの館では、2019年3月に来館者20万人を達成し、
名実ともに鉄道ファンの聖地と成った。(続)




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津山・駅と機関車庫(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-03 | Weblog

 明治政府による富国強兵政策を経て、やがて鉄道はその黎明期を迎えると、
山陽と山陰の中間の中国山地に位置する津山は、三次駅や新見駅と共に交通
の重要な結節点となる。当時の揺るぎのない繁栄ぶりは、今に残された駅の
広大な敷地でも偲ぶことが出来る。
またその象徴とも言える施設が今なお構内には幾つか残されている。





 しかし近年では、モータリゼーションに押され気味である。
更に山陽・山陰を短絡する第三セクターの智頭急行線が開通し、陰陽連絡の
地位を奪われるとかつての賑わいは薄れてしまう。
島式のホーム2面に4線を持つ駅は、乗り入れる三路線全てが非電化のため、
ホームを出入りする車両は全て気動車で、多くが一両か二両程度の単編成の
ワンマン運転である。
嘗ては急行の運行された路線だが、今では僅かに津山線に快速があるのみだ。





 終着駅のホームに入る直前の、車窓の右手には広大な機関区の敷地の中に、
巨大な機関車庫を目にすることが出来る。津山駅には津山線の開通時期と同
じくして、機関区が置かれ、そこは次第に整備され、やがて巨大な機関車庫
が造られた。
総床面積2527平方メートル、工費は当時の金額で11万円余りであったと言う。
それが今日に残されている「津山扇形機関車庫」で、2009年には経済産業省
の「近代化産業遺産」の認定を受けている。





 かつては全国の主要な鉄道駅には、標準化された鉄筋コンクリート造りの
機関車庫が多数つくられたそうだが、現在ではこのような機関車庫は全国で
も13カ所に残っているだけだ。
この津山のものはその規模で言えば、京都・梅小路の20線に次いで国内第二
位の17線規模の巨大な施設である。
このことからも津山駅の繁栄を伺い知ることが出来る。(続)



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津山口駅(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-01 | Weblog


 亀甲駅を出ると佐良山駅を過ぎ、津山市の中心市街地も近くなり、やがて
吉井川の流れに遮られるように東に向きを変えると津山口駅である。
津山線の前身中国鉄道本線が開通した当時の終着駅だ。



 『英国製の940形式タンク車が、勢いよく煙を吐きながら、ピィーッと甲高
い汽笛を鳴らしステーションに到着した。「ばんざい」の大歓声と、打ち上が
る歓迎の花火。津山駅の歴史の幕開けである。』
当時の新聞は、開通の日の様子をこのように報じたと伝えられている。



 明治5年に新橋と横浜間に日本で最初の鉄道が開通すると、時の政府は富国
強兵を推進するためその基盤となる鉄道の建設を推し進め、全国のネットワー
ク化を急いだ。ここ岡山県では最初の山陽鉄道が明治24年に開通し、その7年
後の明治31(1898)年には当時の岡山市と津山の間に中国鉄道本線が開業した。
当時の終着駅は、対面式2面3線のホームを持つ大きな駅で、その地位は現在
の津山駅が開業を始め、この駅が津山口駅と改称される大正(1923)年まで続
く事になる。



 今では、単式ホーム1面1線を持ち、粗末な待合室を兼ねた小さな駅舎だけ
の寂れた無人駅である。広い駅前にも見るべきものは何もなく、当時の面影は、
現ホームから向かい側に立つ住宅との間の地に、僅かに窺い知ることができる
位だ。そこは草に覆われているが、隙間からはホームの跡、僅かな石段などが
見て取れる。



 津山口駅を出ると、間もなく津山線の終着駅津山である。
新見と姫路を結ぶ姫新線の重要な中間駅であり、東津山を始点とする因美線の
全列車が始発着とするため乗り入れる、重要なポイント駅である。(続)





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