簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

自然の営み(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-06 | Weblog

 一時の喧噪を見て、国の重要文化財・碓氷第3橋梁を後にする。
その先に続く5号トンネル(244m)、4号トンネル(100m)、3号トンネル
(78m)を立て続けに抜ける。
上りなら多少の負荷を感じそうな道であるが、緩やかな下り道は、快適である。





 碓氷線の工事で使われたレンガは、およそ1,600万個といわれている。
そのレンガは、横川駅側は深谷、川口、また軽井沢駅側は軽井沢、長野など、
多方面の様々な工場から調達されたと言う。
その為レンガには刻印が打たれたものや、形状に微妙な違いもあるらしい。
積み上げるレンガを繫ぐ、目地の細工も中には山形に盛り上げたものなども
有り、関わった職人の拘りが感じられると言う。
そんなことに注目しながらトンネルを眺めるのも面白いものだ。





 どっしりとした感じの石とレンガを組み合わせた坑門の第3トンネル(77.5m)
を抜けると、やがてその右手眼下に碓氷湖が見えてくる。
中尾川と碓氷川の合流地点をせき止めて造られた人造湖で、一周1.2㎞の遊歩道が
設けられているらしい。この辺りでもまだ標高は500mを越えているので、妙義山
らしき山塊も見え隠れし、紅葉が始まった周りの眺望は素晴らしい。





 アプトの道では危害を加えることはないらしいが、サルが良く出没すると言う。
時にイノシシやクマ、カモシカの目撃情報なども有るらしい。
元々熊ノ平と言う地だから、クマは昔からいたのであろう。

 一方植物も豊富で、春の新緑、秋の紅葉は訪れる人々の目を楽しませている。
廃線から40年以上を経て、英知を集結した人口の構造物の周辺は、新たの植生も
見られ、確実に豊かな自然界に取り込まれ元の姿に変貌を進めているようだ。(続)




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めがね橋(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-04 | Weblog

 第6号トンネル(546m)を抜けると、道幅が広がり、急に人が多くなった。
道の脇にはベンチも置かれ、案内をするボランティアスタッフの姿も見える。
辺りを散策する人、ベンチで休む人、食事をする人、カメラを構え撮影に余念
がない人、これまでに無い賑わいを見せている。





 ここはアプトの道のハイライトとも言える、碓氷第3橋梁、通称めがね
橋の上である。併走する国道からは、坂道と階段を300m程上った所に有り、
駐車場に車を止め、容易に上がってこられることで、これほどの賑わいを見
せているようだ。
ここでは、吉永小百合をモデルにしたJR東日本のポスターや、映画「風た
ちぬ」の撮影に使われるなど、多くのドラマなどの舞台で紹介されている。





 碓氷川に掛かる旧信越本線の第3橋は、横川と軽井沢のほぼ中間に位置し、
その長さが91m有り、同線に架けられた橋の中では最長である。
橋の前後でおよそ6mの高低差がある傾斜した橋である。
橋脚の高さは31.3mで、径間18.2mを4つ繰り返す国内でも最大クラスの4連
アーチ橋だ。建造には10ヶ月ほどを要したらしく、およそ200万個もの煉瓦と、
2,720樽のセメントが使われたという。





 橋からの眺めは雄大である。
眼下は旧旧国道18号線で、路肩に車を止めた観光客の多くが、こちらを見上げ
ている。紅葉の始まった北に見える山の稜線は、刎石(はねいし)山の急坂を
登り切った尾根道で、底には旧中山道が通っている。
山の中腹には複線電化で造られた新線の橋梁が見える。
ここには今でも線路も架線の残されたままらしい。北陸新幹線はその更に3㎞
先を通っているという。(続) 



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退行事故(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-01 | Weblog

 数々の殉難の歴史を秘めた旧信越本線の碓氷峠の66.7パーミルという急な
勾配では、列車の退行事故も度々あったようだ。
明治34年7月に、横川駅を発車した7両編成の列車が、サミット手前の最後の
トンネルを抜けたその時、大きな音と共にカマノ焚き口から赤い炎と白い蒸
気が勢いよく噴き出し、石炭を投入しょうとしていた機関助手を直撃した。





 機関室には白い蒸気が立ちこめ辺りが見えない中で、機関士は必死で、手探
りで探り当てた非常ブレーキをかけた。
しかし爆発で蒸気圧の下がった蒸気ブレーキ(当時の主ブレーキ)はきかず、
急いでハンドブレーキをかけ列車をようやく停止させた。
そんな安心もつかの間、その後列車はゆっくりと退行を始め、あっという間に
その速度は次第に速くなり先ほど潜り抜けたトンネルを逆行で抜けようとした。





 この頃になって異変に気付いた乗客が車内で騒ぎ出した。
たまたまこの列車に乗り合わせた当時の日本鉄道会社副社長は、このままだと
谷底に落下すると判断し、皆に避難を勧めながら自らが先頭に立って列車から
飛び降りた。同乗していた息子もそれを見習い続いて飛び降りた。





 しかし副社長は不幸にも車輪に巻き込まれ、息子はトンネルに激突して死亡
した。目の当たりに惨劇の目撃者となった乗客は、色を失い、なすすべも無い
まま恐怖におののいたが、ようやく列車は減速し2㎞ほど退行したところで停
車し安堵の胸を撫下ろしたという。

 こんな退行事故は結構起きていたらしく、中には犠牲者が出た事故も報告さ
れている。「アプトの道」には、このような鉄道に纏わる逸話を紹介するパネ
ルも所々に掲げられている。(続)



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