簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

浜名湖越え (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-12-07 | Weblog

 舞阪宿の今切の渡し場、北雁木から浜名湖を望めば、遙か先に国道1号
線バイパスに架かる浜名大橋の大きなアーチが見える。
北を見れば、国道1号線と東海道本線、東海道新幹線が一つの束になって、
この今切れを橋で渡っている。
この地はまさに、太平洋岸の東西を結ぶ大動脈である。



 ここから次の宿場・新居までは海上一里、舟渡しなら、潮の満ち引き
の影響を受けるであろうが、1~1.5時間程を要したと思われる。
新居の関所が閉まるまでには、岸に着かなければ通して貰えなかった為、
最終はそれを考慮しての舟出であった。



 嘗て東海道を旅する者、特に女性達はこの今切の渡しを避けたと言う。
調べの厳しい新居関所を避ける為とも、今切れという語に不吉を感じて
とも言われている。また一節には、渡し舟そのものの転覆の危険を避け、
さらには舟上に於ける身の危険も避けることもあったようだ。



 この舟路を避けた旅人は、浜名湖の北西の本坂峠を越える「本坂越道」、
所謂「姫街道」を行くことになる。
多くは公家の奥方姫君、お女中衆と言われるが、船酔いの心配のある人や、
一般の男も普通に通行はしていたそうだ。



 今は陸路でここに橋が架かり繋がっている。
新居の宿を目指し歩けば6㎞弱の道のりで、時間にして1時間半程だ。
車なら15分とかからない距離である。



 またJRなら舞阪~新居町の間には、途中に弁天島駅があるが、僅か
6分ほどの所要だ。
地元の観光協会では、舟渡を想定したクルーズまで用意している。
現在の渡しは、何れを利用しても早くて安全で便利が良い。(続)





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今切の渡し (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-12-04 | Weblog


 舞阪宿で公開されている脇本陣を出て、左に折れ西進すると宿場外れ
に常夜灯の立つ辻があり、目の前に浜名湖と魚市場が見えてくる。
ここら辺りが、明暦3(1657)年から4年余りかけて構築された、史跡
「北雁木」と言われる場所だ。
ここは主に大名や幕府の公用人が利用したと言う。



 「雁木」とは階段状になった船着き場のことで、東西15間、南北20
間の石畳が、街道より水際まで下り坂状に敷かれている。
この宿場の西側には、荷物中心の南雁木、一般の旅人用の中雁木、
とこの北雁木、合計3カ所が設けられていたらしいが、北雁木だけが
現存している。



 かつて舞阪の次の宿場は、浜名湖を控えて風向明媚な橋本宿であった。
浜名湖から流れ出る浜名川に架かる浜名橋の袂に広がる宿場町だ。
しかし明応の大地震でその陸路は断たれ、宿場町は消滅し、海上一里と
言われる渡しを利用することになる。



 とは言えここは名にしおう遠州灘の荒波の打ち寄せる場所であり、実
際に渡船中の事故も起こっていたらしい。
航行の安全を度々脅かされる事から、事故防止渡しの安全のため、海上
には数万本もの波よけの杭が打ち込まれていたという。
舟はその杭の間を、守られるように進んでいたのであろうか。



 舟は新居の関所の管理で、渡し舟は120艘、船頭水夫は360人いたと
いわれている。運行は、朝の一番方は午前四時頃の出発で、夕方は日没
前の午後四時が最終だ。これは対岸の新居関所が日暮れには締められる
ので、それを見越しての船出である。
舟一艘借り切りは約百文、乗り合いは一人四銭であったそうだが、年代
と共に高くなっていったと伝えられている。(続)





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幻の橋本宿 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-12-02 | Weblog


 「南は大洋にして三州地より豆州下田まで海里七十五里、是を遠州灘
といふ」かつて東海道には「並木敷」と呼ばれた土手が連なり、美しい
松並木が伸びていた。この辺り古の東海道は、松並木越しに左に遠州灘
を見通す風光明媚な地であった。



 また「むかし舞沢のほとりより 浜名の橋までにつづきて みどりの
松生つらなり、水うみ塩海をへだてて中に一筋の大路あり(東海道名所
図会)」と伝えられるように、浜名湖はかつて閉じた淡水の湖で、太平
洋との間には松並木の続く東海道が通じていた。



 舞阪宿を出ると街道は浜名湖に向かい西進し、その先で湖から流れ出
る浜名川に架かる浜名大橋を渡る。
それは枕草子にも名が出てくる古い橋で、長さはおよそ170mと言う。
橋を渡れば暫くして東海道31番目の宿場・橋本(新居宿の前身)である。
浜名湖畔の宿場町として人気で、美しい景観が旅人を引きつけていた。



 ところが室町時代、明応7(1498)年8月28日、御前崎沖の南海トラ
フ沿いで発生した地震は、大地を激しく揺らし、巨大な津波を起こし、
それが太平洋沿岸の各地を襲った。
当地も被害から免れられず、辺りは「一里余ノ波シトナリ」、松並木の連
なる街道は脆くも崩れ大地が割れ、「是ヲ今切ト号ス」大被害が発生した。



 街道は崩れて消え去り、橋本宿は消滅し、浜名湖は外海と繋がり汽水
湖となった。橋本宿は廃止と成り、新たに対岸に新居宿が開かれ、今で
は幻の宿場町となってしまった。
そして浜名湖を舟で渡る今切の渡しが開かれた。(続)





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