まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

太鼓焼き

2024-12-31 | 暮らし
時折、絵を描いて投稿するが、はがき投函後数日は新聞の発言欄をチェックしていて、1週間もすると不採用かなと勝手に決めて見なくなる。
友達が見つけてくれることもあるが、匿名「さゆり」で投稿すると誰にも見つけられないし自分でも見損なうことがある。
1か月後に新聞社から図書カードが送られてくる。
そこには「12月7日掲載」と書かれていて、あ~先週新聞を資源ごみに出してしまったわ~と、載ったのを確認できず後の祭り。

12月7日は、小松で講習会があったので、婆様の2日分の食事を作り、自分もバタバタと朝食を摂って出かけたので、新聞はお悔やみ欄のチェックだけしかしていない。
その日はホテル泊りで、翌日の朝食時にMちゃんとSちゃんと会長とテーブルを囲んでいた時に「新作発表!」と、スマホを見せたので、少なくとも3人には見てもらえたことになる。
翌日帰ってから、12月8日の新聞だけ見て廃棄したので、結局12月7日はスルーした。


この大判焼きは、通勤途上のタイ焼き屋さんで買った。
寒い日で、夕方道のわきに車を停めて、新聞紙に包まれたのを抱えて出てくる客を見たら急に自分も食べたくなった。
たったひとつ買うのは気が引けるので、めったに寄らないが。

父が寝たきりになって病院にいたときも、たった一つを買った。
「太鼓焼きが食いたいなぁ」と、言ったからだった。
流動食に近い食事になってから、看護師に内緒で少しずつ口に入れていたが、やはり喉につまらせないかと心配になって、ほんの一口しか食べさせられず。本当は、がぶりと食べたかったのではないだろうかと思ったことだった。

たったひとつを、白い小さな袋に入れてもらって冷めないうちにがぶっと食べるつもりだったが、何となく半分に割って、誰も相手がいないのに半分この言葉が浮かんで、皿に入れてから、「そうだ!描こう」と思った。
しかし、単純すぎてなかなかそれらしくならなくて、色を重ねていくうちに大判焼きはすっかり冷たくなったけれど、そのうち誰かと一緒に食べたような時間が持てたような気になった。
最後はお茶を入れて、電子レンジでチン。
今度はタイ焼きを買ってこよう!!






一服

2024-12-31 | 暮らし
去年今年貫く棒のようなもの
(こぞことし つらぬくぼうの ようなもの)
高浜虚子

時を追いかけているのか、時が追いかけてくるのか、とにかくさらさらと流れを止めないのが時間。
その中で、掃除の手を止め、家事の合間を縫って、一服。
盆手前。
菓子のかわりに干し柿を。
今習っている先生は表千家だ。
若いころ会社で習っていた時は、弓道の先輩で裏千家だった。
どちらも作法は大きく違わないが、お茶の点て方が違う。
裏はしっかり泡立てて、のの字を書いて真ん中をふっくら盛り上げる。
表は香りを楽しむため、あまり泡立てない。
どちらかというと、泡立てて黄緑色がふんわり盛り上がるのが好きだ。
どちらにしろ、この静かなひとときがいい。
外はどんよりと雲がたれこめ、大きめの鳥が庭の木に2羽。
南天の実を食べつくしたのは、この鳥たちかな。


ちょっと前は赤い実がたわわについていたのに。


外がチチ・・とやたらうるさいので出てみると、電柱に数えきれないほどの雀。
この雀が赤い実を食べた?
穏やかな一服のあと、再び忙しない現実が・・・
日本野鳥の会の方。数えてください。
車のロックを解除した音で一斉に飛び立ちました。




師走だ!しわすれはないか?

2024-12-30 | 暮らし
婆様が買い物に連れて行って欲しいというので、買い物へ行くと、正月前と感謝デーも重なって、レジは長蛇の列だ。
白菜4分の1を買う。高い!ブロッコリーも258円!
野菜の高いことと、人の混みようにうんざりしてしまう。
しかし、95歳の婆様は果敢である。
カートに杖を放り込んで、約1時間カートに山ほどの買い物をした。
私は自分の買い物を一旦車に入れてから、婆様を迎えに行き、長蛇の列から救い出しセルフレジに向かう。
買い物袋一袋には入りきらず、用意してあったもう一袋に入れると、初めの一袋をカートに載せようとする。
すべてのバーコードを読まさなくては途中で袋を移動させてはいけないと思うのに婆様は外そうとする、私はジェスチャーでダメダメと手を振る。
耳が聞こえないので意味が分からない様子。
ようやくの事で完了。
本当は花屋に寄って正月用の花を買おうと思っていたが、とにかく早く婆様をうちに届けたかった。
何か買い忘れがあるような?



年賀状考

2024-12-24 | 弓道
元旦の朝に年賀状が届いて、家族のみんなで分け、それぞれの賀状の添え書きを読む。
近況報告、安否確認、いわゆる風物詩とも思えるひと時だ。
けれど、最近は「今年で終わります・・」という年賀状終いのあいさつ文がくるようになった。
今までは、会社を辞めて自然と遠のいたり、喪中はがきの後に出さなくなったりと、じわじわ減らしていたが、ここへきて考えが一転した。
しかし、終いの挨拶も、目上の方には出しにくい。
はがき代は今年から100枚出せば8500円である。
当然の計算だけれど年金生活にはちょっと痛い金額である。
雪用の長靴を買っても、おつりがくる。
キャベツが400円とか、コーヒーが日々値上がりし、正月の餅も高い。
ガソリンも・・・あれもこれもだ。

道場で、お互いに初射会で会えるから出さないでおきましょう。と、言うと皆ほっとしたような返事。
LINEでやり取りできるので、友達仲間にはLINEで。
そうなると、親戚の安否確認に絞られる。
それでいいのかもしれないね。
元旦の朝は、こたつスマホでピンコロやりましょう。
うちは、こたつもないのだけど。
こたつみかん、家族団らん。そういうのなくなりました。
正月の行事はパソコンに向かって、正月明けの弓道の総会案内をつくる仕事。
わが協会は、出来ることを分担して皆が関わるのでありがたいことだ。
しかしながら、往復ハガキも高いし、なるべく道場で手渡し。
メールでの案内、返信ですませられる人がまだ少ない。
これだけ進歩した世の中にあって少し前進しなければと思う。
ますます郵便から遠ざかる。


看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)

2024-12-21 | 暮らし
今日は今年最後のお茶のお稽古。
床の間の掛け軸は「看々臘月尽」
読めなかった。
先生より説明があり、ろう月とは12月の事で、みるみるうちに月日は過ぎ去っていくよという意味。
師走のこの時期にふさわしく、もう一つ突っ込むと人生の臘月になっていく自分が、この後、どう生きていくかということも考えさせられる。
「ぐずぐずしていると命がなくなるぞ」なんて解釈があったりするが、年老いた身の上の人に何をしろというのかとなる。
お茶を一服頂きながら、こんな時間を持つことも大切なのだと思ったりする。

孫たちをみていると、忙しく習い事や勉強、受験、部活・・と、本当に休む暇もなく行動している。
年を取ると、こなす量が減るけれど、それなりに忙しく身を削っている。
のんびり過ごすことが罪悪のような気持になったりする。
予定が入っていない日が不安だったりする。
あれっ?今日は何もなかったっけ?と。
健康で日々を送るだけでいいと思うよ、と思いつつも予定を入れてしまって、また忙しい日を送る。
大切に生きるということは、忙しく暮らすということではなく、無理をせずに身体を大切にということも考えてもいいかもしれない。

今年もまた暮れていく。



吉川晃司が弓を引く

2024-12-17 | 弓道
先日、範教錬士会があった。
1日目の夜に食事をした後で、吉川晃司が弓を引いているという話になった。
実は、12月初めに美容院へ行ったときに、スタッフが鏡の前に週刊誌と婦人画報を置いて行ってくれたのを手に取ってみると、婦人画報の表紙が吉川晃司が坐して執弓の姿勢をしている!
『婦人画報』創刊120周年記念スペシャルで、14ページも割いている。
中を見て会の姿に驚く。このまま離したら的中だろうと思える。

「弓馬術礼法小笠原源流」に教えを請うて6年とのこと。
流鏑馬神事を行うのだから、馬にも乗れなくてはならない。



スマホでその写真を見せると、講師の先生はなかなかいい会だとおっしゃり、それを覗いて、白髪交じりのO先生が「俺やん」と、つぶやいた。
確かに雰囲気は似ているねと盛り上がったら、翌日の講習会の中で、ついに「きっかわ君」と、範士の先生から呼ばれていて、事情を知らない方には何で「きつかわ」?誰?と、思われたことだろう。



なんと、娘からLINEが来て『婦人画報』買ったら、吉川が弓を引いていたよと知らせてきた。同じことを思っていたのだなと。
久しぶりに買ってしまった。格調高い婦人画報。

『弓道教本第一巻』と、『日本アルプス縦断記』

2024-12-10 | 弓道
仕事の関係で、とんでもない古書に出会うことがある。
今回、大正6年7月23日発行の『日本アルプス縦断記』

その『日本アルプス縦断記』を、手に取って、著者を見て興奮した。
一戸直蔵 河東碧梧桐 長谷川如是閑

児童文学者、勝尾欣也氏の『山へ登ろう。いろんな山へ ー 子どもたちへの深田久弥のメッセージ』(桂書房) 2012 の中に紹介されていた深田久弥の書いた『山の本』という文章が、紹介されていた。
久弥は大正7年ころ、生涯忘れられない貴重な出会いがあった。
「僕が始めて山の本を買ったのは、中学生の時で、『日本アルプス縦断記』田舎の町の本屋でこの本を買った時の喜びは、今も忘れられない。日本アルプスを大勢の人夫を率いてテントを張りながら踏破するという記事は、田舎の中学生にはまるで夢のような手の届かない話であったが、興奮した。」と書かれている。

さて、私の興奮は『弓道教本』と、『日本アルプス縦断記』のつながりだ。

我が家には『弓道教本第一巻』が、4冊ある。
殿と私が、若いころインデックスをつけて勉強した古い教本。
その頃は、昇段審査の学科問題は、どんな問題が出るか分からず、当然教本を見ることはできず、とにかく読みまくって勉強しなくてはならなかった。
錬士の審査では面接もあるし、何回も読んでいるうちに、インデックスがすり減ってなくなっているのが私の教本だ。
今は、コロナ禍もあって、前もって問題が提示され、受審者は何を見て書いても良いので、殆ど完璧な回答を引き出せる・・はずである。
さて、初版から何回も改訂され、改訂増補が出され、2冊目を買わなくては内容が微妙に変わっていたら、これをもとに指導するので必要である。
ところが、最近表紙の色が変わって、またまた買い替えた。
正誤表や、写真の間違いシールを貼るというおまけがついた。
それでも50年来変わらないのは序論である。
「日本の弓の伝統とその性格」というところで、「日本の弓の尊崇性」に、弓体の美として、長谷川如是閑氏の『礼の美』からの引用文が載っている。
ずっと謎だった。この人は誰?そして、この文章がずっと載っているということは、この文章以上に的確に述べている文章がないと言える。
その長谷川如是閑が、アルプス縦断!おまけに俳人、河東碧梧桐もいっしょに。



さて、健脚揃いの3人とは何者なのか?
一戸直蔵は青森出身で東大星学科卒の理学博士、アメリカの天文台で3年間星の観測に従事し、東大講師を経て大正4年からは「現代之科学」誌主宰を務める38歳。
碧梧桐は松山出身で正岡子規に師事し、子規没後は自由な俳句表現を主唱し、当時は「日本及日本人」誌の俳句選者で登山好きの42歳。
如是閑は東京生まれの浅草育ち、イギリス法学を学んだジャーナリストで、当時は大阪朝日新聞の社会部長をつとめる40歳だった。


登山の話だけでも、弓道教本だけの話でも如是閑についてスルーしていたかもしれない。
読んでみよう。あんなにも美しく弓を表現した人の山を。
きっと、深田久弥もわくわくしたに違いない。
しかし、旧漢字が並んでいる。わくわくの前に「うーん」とうなる箇所が。










金盃と銀盃

2024-12-09 | 暮らし
物が増えすぎるので、時折、整理しなくてはならない。
よく言われる「箪笥の肥やし」は着物だし、「押し入れ」の奥に入ってしまうものは「無用の長物」。
居間のクローゼットは収納スペースが多く、ついついそこに入れてしまう。
たまに点検し無用の長物を見つけて処分したい。
殿の金メッキの盃が出てきた。
会社の系列のスカイホテルでの催しで、得意げに持ち帰ってきたのを覚えている。
この箱書きから豪快に吞んだであろう殿の姿が浮かぶ。
何でも横綱はそうそういない。
ふっと笑えて大事に元に戻した。
思い出の品は慌てて捨てなくても良いと思う。これは大切なもの。



さて、今年表彰された時に頂いた銀盃がある。
今どき銀盃を頂いて喜ぶ人っているのかなあと、せっかく頂いたのに申し訳ないが思ってしまった。
会社にいた時も、永年勤続表彰で銀杯を頂いた。
その時もどこかの食事券でも、商品券でも、カタログで選ぶのでもいいので、使えるものが欲しいと思ったが、それはどうしたのか記憶がない。
とりあえず、目の前の銀盃を見ると、保証書に「純銀 99.9」「63g」とあった。早速、質屋をしている同級生にLINEした。
「今は、金も銀も高くなっているから、それなりの金額で売れると思う」とのこと、金ならその100倍だって!
結局、県から頂いたのに換金するなんて何という失礼なと思ったが、娘たちもいらないだろう。
弓道連盟からの花束とみんなの拍手のほうが、何倍も嬉しかった。

盃は持っていてもどうしようもなく、思い出にもならない。
それどころか、頂くまでの経緯を思い出すことの方が悲しい。
思ったより高く買ってもらえることとなった。
美味しいお菓子を持って、同級生の元へ。
コーヒーを入れてもらって、よもやま話をして、手数料は端数でいいとのこと。優しい❤


今年の漢字

2024-12-06 | 暮らし
日々のニュースを観ると怖くなる。
今年の漢字は何だろう。
戦争、政治不安、闇バイト、先日も揺れた地震。
「闇」かなあ「壁」かなあ。

壁と言えば、入所した母を見舞いに行ったら、「この人は誰か?」と周りの人に尋ねられて、母は自分の妹の名前を言った。
話しているうちに少しずつ分かってくるのか、わたしの名前を言う。
母が遠くへ行ってしまったような、壁が出来てしまったような。
わたしが思うには、母は自分の娘はもっと若いと思っているのかもしれない。
なので、年を取った私は母の妹、すなわち叔母に似ているのだと思う。
母も92歳だ。周りの方は90歳やとか言っていた。

TVの観えるところへ車椅子を移動させたら、後ろのおばあさんが、
「女優さんかえ?」と、私に向かって言った。
どうも、その方も判断力がおかしくなっているようだった。。
「迷」という漢字が浮かんだ。


やっと駅らしく

2024-12-04 | 暮らし
12月1日、シャッターで隠れていた駅の構内が出来てお披露目となった。
トイレもコンビニも待合室もなく、新幹線乗り場だけ出来ていた駅だ。
やれやれ良かった。


こりゃなんだ?あら~~懐かしや。チェーンではないかい。
自転車チェーン。
加賀市の伝統工芸の漆器椀。九谷焼。









広くなって送迎の車も余裕で停めれそうだ。
あとは、ガレリアとかを作るらしい。
新幹線が開通してから、構内の完成。ガレリアの完成と、ずらして完成していくと、何回もイベントが行われて賑わしいことだ。

ピアノ発表会

2024-12-01 | 小さきもの
今日はnanaのピアノ教室の発表会が図書館の2階の視聴覚室で行われた。
小さなコンサートということだったが、みんな一生懸命に弾いている姿をみると、何とも言えない気持ちになる。


プログラムは、nanaの描いた絵で表紙と裏表紙が飾られていた。
ばぁばとしては、こちらも嬉しい。



どの曲も良かったが、特に「スカボロフェア」が懐かしかった。
懐かしい曲は、タイムマシンみたいに気持ちが昔に飛ぶ。

時の過ぎゆくままに

2024-12-01 | 暮らし
今年の黄葉は、夏が長かったせいか遅いと思っていたが、色づいたと思ったら風で大半のイチョウの葉が落ちてしまった。
同時に時が早く過ぎる気がする。


時の流れに身をまかせという歌があったが、身を任せていて気づいたら年を取っていたということになる。
人の命は決まっているという。
明日を生きられなかった人の明日を生きる自分は幸せかといえば、そうではない気がしてきた。
結局、決まっている人生の明日を引いていくので、「マイナス明日」ということになる。今日を生きたのだから「マイナス今日」なのか。
訳のわからないことを考える暇があったら勉強をしなさい。と、若ければ言うところだが、勉強した尻から忘れる年になってきた。
先日、お客さんで同級生という人がみえた。
「わたし覚えとるけ?」と、言われたが、覚えていなかった。
残念ながら、年を重ねると出会う人も多くなるので、頭の引き出しからこぼれる人もいると思うのだ。