まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

新発田市の思い出

2015-03-22 | 弓道

弓道大会に顔を出して家に戻り昼食の準備をしていると、新発田市の弓道協会のH会長さんとAさんが弓道着のままみえて、線香をあげてくださる。

退職したので夫婦そろって、新発田市の弓道大会へ行こうと思っていたのに残念だったことを述べた。前に1度だけみんなと行って美味しいお酒を買って帰ったことを思い出した。そうそうコンビニの前で朝ごはんを食べたっけ。

仮設の道場で大会を行い、運営が素晴らしかった。また、加賀市と姉妹都市ということで、お客様扱いで別室に控室を設けてくれていた。

あんなことも、こんなこともこれからはひとりだ。

桜を見ることが出来なかった。kenの入学式を見ることが出来ないとか思わないことにした。年金も貰わんと・・と、言われたが、それとて、欲を言ったらきりがない。欲と執着は悔しさと無念さしか生まない。

今ここの状態で、生かされている自分に感謝する。

 


開設記念弓道大会

2015-03-22 | 弓道

3/22この日に、殿は協会長として開会式に挨拶をしなくてはならないことを思っていたようだ。おまけに1月には、先輩から7キロの弓で矢渡をして生きざまを見せてくれとも言われて、その言葉が嬉しかったようだ。出来ないと分かりながらも、希望があった。

癌との壮絶な闘いが始まったのは発症してから5年目の昨年の4月の入院から4回の入退院を繰り返すうち、20キロ痩せ、出かけるときは杖から車椅子に変わっていった。

しかし、殆ど自宅で最後まで過ごした。おまけに、毎日2階の寝室にあがって寝ていたので医者が驚いていた。わたしは、今回の9日間の付添での入院で、もう殿に楽になってもらいたいと最後には思った。

葬儀後、やっと市役所へ出かけ除籍謄本とかの存在を知り、銀行や年金の手続きに追われ開設記念の手伝いも、もちろん出席も考えていなかった。

しかし、矢渡の掲示のコピーを頼まれていたので、〇久保君の力を借りに出かけ、先輩に取りに来てもらい、それでも道場へは顔を出す気も起きなかった。

ところが、今朝「香典を預かっているので」との電話があって、急いで香典返しを持って出かけた。長い間会わなかった訳ではないのに、みんなの顔が懐かしかった。

県連会長に挨拶をし、お世話になった方々に挨拶をしていたらきりがなくなりそうだった。話をしながら涙が浮かんだり、みんなの言葉がありがたかった。「そのうち、ぼちぼち始めるから・・・」と、言って久々に気持ちが晴れた。

殿の小さな遺影を審判席に置いてもらった。加賀の道場は3階にあるので、昨年4月からついに上がることが出来ずに終わったので、久々に殿は審判席に登場したのだ。笑顔が良い。そして、みんなに会うと笑顔になれる。ありがたい。