うちの前の生垣のレッドロビンが、日々赤い芽を伸ばし、刈っても刈っても追いつかない。ついに、のこぎりで目の高さまで切り始めた。
枝と枝がけんかしているところを、ごめんね、ごめんね。と、ごりごり切りながら、大丈夫かなあと心配になるが、心配ご無用。なかなか生命力のある木である。この木と戯れていると元気になる。しかし、切り取った枝を捨てるのが大変なのである。
うちの前の生垣のレッドロビンが、日々赤い芽を伸ばし、刈っても刈っても追いつかない。ついに、のこぎりで目の高さまで切り始めた。
枝と枝がけんかしているところを、ごめんね、ごめんね。と、ごりごり切りながら、大丈夫かなあと心配になるが、心配ご無用。なかなか生命力のある木である。この木と戯れていると元気になる。しかし、切り取った枝を捨てるのが大変なのである。
献体した伯父の遺骨が返されるまでに、約4年(正確には3年9か月だが)かかった。これは長すぎると思う。長かったということは、ご遺体がたくさんあったのだろうか。
故人が若い人であれば遺族は若いが、高齢であるとその子供も年をとるのである。もちろん、いろいろな事情があるので、いちがいには言えないが、今回はやはり従兄が具合が悪くなって引き取りに行けなくなったということが問題だった。奥さんも体調が悪く、娘である従姉が引き取りにきたのだが、結局、遺骨は空き家の仏壇にしばらく置くことになった。そこには、伯母の遺骨も置いたままになっている。きっと、父親の遺骨が戻ってから墓に入れようと思っていたのではないかと思うが、寝たきりになった従兄には確かめようがない。
墓に入れるにも今から墓を守る人がいない。奈良の息子は病気、その娘は奈良に嫁いだ。なので、お寺に預かってもらうというのが良いのではないかということになった。
墓のこと、遺骨のことというのは、若くて元気な時には考えが及ばない。子供が都会に出て独り立ちすることは、親としては止められない。何とかして消滅都市から抜け出さなくてはならない。若い人がどんどん都会で就職してしまうからだ。
他人事ではなく、我が家も私が入ったらもうお墓に入る者はいないのである。ついでに言うならば、実家の両親も弟が愛知県で所帯を持ったので、墓守りはわたしがすることになるのだ。わたしは地元に留まったのでまだよいが。
父は「生きている者の生活が大事だから・・」と、従姉に言っていた。また、世の無常を説いていた。自分で「坊主の説教みたいになったんなあ。」と、言っていたが、久しぶりに、父の話に耳を傾けた。いつもは、足が痛いとか、手が震えるとか訴えるばかりなので、今回は辻説法を素直に聞いた。