さて、ロック・ダウン生活に入る前の記事がひと段落ついたので、
この辺で、インドにおける新型コロナ・ウィルスと、
ロック・ダウン生活について記してみる。
私が新型コロナ・ウィルス(以下コロナ)の脅威を、
実際に感じたのは2月中旬である。それ以前に、
コロナのニュースを聞いた限りでは、
現在ほど大きな問題になるとは思っていなかった。
2月12日の18時半頃、日本から来たお客様を
空港でピックアップしてそのまま車でアグラへ行った。
その方が空港で入国した際に、
コロナに関する調査書類があった事を教えてくれた。
その後、26日にエスコートする予定のお客様が、
コロナの影響からインド行きをキャンセルされた。
それから・・・これは世界的規模の脅威になるかも・・・
と思い始めたのだった。
インドは3月3日から日本からの入国を拒否し始めた。
それ以前にインドへ入国していたお客様を迎えに行った6日には、
完全に私の中で非常事態宣言がなされ、
PM2.5でもしかなったマスクをして空港へ向かった。
ちなみに、その日バックパッカー街(パハール・ガンジ)の
薬局で中国人がマスクを買い占めている所を目撃。
その後、空港メトロのエスカレーターでインド人から、
「コロナ。ニーハオ。」と言われ、
「私は中国人ではない。」とヒンディー語で答えた。
その後、春祭りホーリーがあり、それが終わった11日からは、
どうしてもと言う用事以外は出かけないようにした。
今後は動き回る事はせず映画でも観よう・・・。
と思っていたら13日からデリーでは映画館が休館となった。
仕方がないのでまだ営業していた隣の州まで行き、
15日に2本観た。人気作品で夜の回や休日でもない限り、
満席にはならないし、私の行く平日の9時台の回は、
観客はまばらであるから危険な感じはしないけど、
まぁ密閉された空間ではあるし、インド人は上映中でも、
平気で電話で会話したりするからな。
16日、ショッピング・モールで入場時に検温してると聞き、
検温されるために行ったが問題がなかった。
17日、インド在住の日本人がデリーに来たので、
パハール・ガンジへ会いに行った。もちろんマスクして。
18日、近所のカフェでインド人通訳者に会い賃金を支払った。
19日、コンノート・プレイスで日本から来た旅行者に会った。
これが旅行者と会った最後。翌日から自主的に引きこもった。
同じ19日夜、モディ首相が国民に向けて演説。
22日は7~21時まで外出禁止とする・・・
よって22日に予定されていたゴルフは中止になった。
23日、モディ首相が再度演説。
インド全土の21日間(4月14日まで)ロックダウンを発表。
必要物資の買い出しは可能、デリバリーも可能である。
私は3月20日から自主的に引きこもっていたので、
食料品はある程度の備蓄していたが、
世間の様子を確認するために2日に1回は外出する事にした。
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