本日はベルリオーズの声楽曲「レクイエム」をご紹介します。モーツァルト、フォーレ、ヴェルディのいわゆる「三大レクイエム」に比べればマイナーですが、ベルリオーズ円熟期の傑作として声楽ファンの間では評価の高い作品です。コンサートで上演される機会は決して多いとは言えませんが、その理由として挙げられるのが編成の巨大さ。独唱者はテノール1名だけですが、合唱はなんと200人、オーケストラが160人強、さらにバンダと呼ばれる金管楽器の別動隊を四方に配置し、その人数が約40人、全部合わせて400人と途方もない人数です。なおかつ演奏時間も75分強と長く、演奏する側も大変ですし、聴く側も心構えが必要という訳です。もちろん演奏が成功した場合は、それに見合うだけの感動が得られるのも事実で、今日ご紹介する小澤征爾指揮ボストン交響楽団&タングルウッド音楽祭合唱団のCDもベルリオーズの残した壮大な音世界を堪能できる一枚です。
曲はまず厳粛な「レクイエムとキリエ」で始まります。かなり暗めの出だしですが死者のためのミサ曲なので当然と言えば当然です。続く第2曲「怒りの日(ディエス・イレ)」も引き続き暗めですが、中間部でトランペットが鳴り響きそこからド迫力の大合唱が始まります。ここが第一の山場ですね。その後男女の混声合唱で高らかに歌い上げる第4曲「畏るべき御稜威の王(レックス・トレメンデ)」、無伴奏で静かに歌い上げる第5曲「われを探し求め(クエレンス・メ)」を経て、第二の山場である第6曲「涙の日(ラクリモーサ)」へ。耳に残る印象的な旋律を合唱隊が繰り返し歌い上げながら最後はフルオーケストラで華々しく締めくくります。第7曲「奉献唱(オッフェルトリウム)」は一風変わった曲で合唱はつぶやくように弱々しく、弦楽オーケストラが哀調を帯びた旋律を繰り広げていきます。地味な曲なので最初は聞き流しがちですが、だんだんと良さがわかっていきます。同じような雰囲気の第8曲「賛美の生贄(オスティアス)」を挟んで、第三の山場である第9曲「聖なるかな(サンクトゥス)」へ。全体的に暗めの本作の中で唯一天国的な美しさを持つ曲で、テノール独唱と混声合唱が代わる代わる胸に沁みる感動的な旋律を歌い上げます。小澤盤では黒人歌手のヴィンソン・コールが素晴らしい歌声を聴かせてくれます。最終曲「神の小羊(アニュス・デイ)」はこの手の曲にしては珍しくさほど盛り上がりを見せず、最後は美しい「アーメン」の合唱で静かに幕を閉じます。ライヴ録音とのことですが、この大曲を見事にまとめ上げた小澤征爾の指揮はさすがだと思います。
曲はまず厳粛な「レクイエムとキリエ」で始まります。かなり暗めの出だしですが死者のためのミサ曲なので当然と言えば当然です。続く第2曲「怒りの日(ディエス・イレ)」も引き続き暗めですが、中間部でトランペットが鳴り響きそこからド迫力の大合唱が始まります。ここが第一の山場ですね。その後男女の混声合唱で高らかに歌い上げる第4曲「畏るべき御稜威の王(レックス・トレメンデ)」、無伴奏で静かに歌い上げる第5曲「われを探し求め(クエレンス・メ)」を経て、第二の山場である第6曲「涙の日(ラクリモーサ)」へ。耳に残る印象的な旋律を合唱隊が繰り返し歌い上げながら最後はフルオーケストラで華々しく締めくくります。第7曲「奉献唱(オッフェルトリウム)」は一風変わった曲で合唱はつぶやくように弱々しく、弦楽オーケストラが哀調を帯びた旋律を繰り広げていきます。地味な曲なので最初は聞き流しがちですが、だんだんと良さがわかっていきます。同じような雰囲気の第8曲「賛美の生贄(オスティアス)」を挟んで、第三の山場である第9曲「聖なるかな(サンクトゥス)」へ。全体的に暗めの本作の中で唯一天国的な美しさを持つ曲で、テノール独唱と混声合唱が代わる代わる胸に沁みる感動的な旋律を歌い上げます。小澤盤では黒人歌手のヴィンソン・コールが素晴らしい歌声を聴かせてくれます。最終曲「神の小羊(アニュス・デイ)」はこの手の曲にしては珍しくさほど盛り上がりを見せず、最後は美しい「アーメン」の合唱で静かに幕を閉じます。ライヴ録音とのことですが、この大曲を見事にまとめ上げた小澤征爾の指揮はさすがだと思います。