広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

広島・宮島旅行記~夜の宮島~

2008-09-17 23:31:50 | 旅行記
※本記事の写真はE-520でなくコンパクトデジカメで撮影したものです※
宮島連絡船は22時台が最終便で、それ以降は翌朝の6時頃の始発便まで、対岸へ渡る方法はない(はずだ)。そして宮島にはコンビニがない。
こんな環境の「島」で一夜を過ごすのは生まれて初めてだった。

だが、桟橋から厳島神社にかけては、土産物屋や宿(小規模でやや高級な旅館風ホテルが中心)などが多い一大観光地であり、そもそもコンビニがなくても、自動販売機や宿の売店があるから、今回はまったく不安・不便はなかった。

今日の宿は、2食付(おいしかった)で天然温泉があるとはいえ、昨日の広島市の宿の3倍位の宿泊料。山側の5階の部屋だったので、窓から町並みが見渡せた。

真下が参道だが、その向こうまで黒い瓦屋根の家がびっしり立ち並んでいる。
ここからは見えないが、観光客が行かない桟橋の神社と反対側には、中学校などもあって、2000人ほどが島内に住んでいるようだ。


厳島神社の大鳥居は日没から23時までライトアップされている。しかも今日は22時近くが夜の満潮だ。まだ連絡船がある時間とはいえ、この光景をじっくり眺められるのは、タイミングのいい日に島に泊まった人だけの特権だろうと、見に行く。
他のホテルからも同様の人が中には浴衣で出てきていて、結構にぎやかだ。
小型の観光船もあるらしく、今日のような満潮時は鳥居の下をくぐるようだ。鳥居をくぐる直前、船の乗客がいっせいに柏手を打った。今日の昼、あの場所に自分が立っていたのが信じられない。

神社の社殿もライトアップされているが、もちろん中には入れず静まり返っている、と思いきや中で青白い光が動く。よく見るとLED懐中電灯を持った神社の職員2人が見回りをしていた。
厳島神社のある部分は入り江というか湾状になっていて、そのいちばん奥が社殿だ。社殿の裏手は、紅葉谷や水族館などへ続く道だが、真っ暗だ。この道を通って参道や宿の対岸まで行く。15分位かかっただろうか。ここまで来る人は少ないが、逆の位置から大鳥居を眺められる。

反対側からの大鳥居。連絡船がやって来た。対岸の廿日市の明かりも見える。
松並木の砂利道で、手すりにカメラを置いてぶれないようにしながら写真を撮っていると、後ろで砂利を踏みしめて誰かが歩いて来る。「ザクッ」と近くで足音が止まったので驚いて振り返ると、鹿がいた! 向こうもこんな所に人間がじっとしていたので一瞬驚いたようだったが、しばし立ち止まってまた歩いて行った。暗くても寝ていないヤツがいたのだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島・宮島旅行記~干潮の宮島へ~

2008-09-17 21:44:19 | 旅行記
※本記事の写真はE-520でなくコンパクトデジカメで撮影したものです※
広島市内を後にして、宮島へ向かう。
気ままな一人旅なので、列車の時刻以外は行き当たりばったりでいいのだが、今回宮島へ向かうのは、時間厳守だ。
なぜなら、旅行中唯一の昼間の干潮だからだ。

潮汐の仕組みを説明するが、引力により、海水位は約12時間強の周期で満ち干を繰り返す。つまり、毎日それぞれ2回、干潮と満潮がある。さらに月の満ち欠けにより、干潮と満潮の差が大きい大潮が約半月周期で訪れる。
宮島の厳島神社も、いつでも、よく写真で見るような(前日の夕方のような)海につかった状態なわけではなく、干潮時には鳥居の下まで歩いて行けるほど潮が引く。
はるばる秋田から行くのだから、干潮と満潮両方を見てみたいので、大潮の日でかつ都合のいい時間に干潮・満潮になる日を選んだのだ。
宮島観光協会のホームページによれば、「厳島神社が海に浮かんで見える潮位の目安は250cm以上、大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位の目安は100cm以下、潮干狩りに適する潮位の目安は40cm以下」とある。潮位や干満の時刻は同協会や釣り人向けのサイトで調べられる。
今回の旅行中の満潮は9時頃と21時頃で、潮位は300cm以上あり、宮島島内に宿泊するから見るのは難しくないだろう。しかし干潮は深夜3時頃に130cm位のがあるが、潮位が高いし、第一真夜中だ。昼の干潮は15時頃に0cm前後(東京湾基準だったはずだから、広島ではマイナスになることもあるのだと思う)とちょうどいいが、その時間に宮島にいられるのは、日程上、今日しかないというわけだ。


昨日の経験を踏まえて、JR山陽本線で宮島口まで行く。途中駅で乗り降りする乗客が多い。
宮島口到着時、車掌が「宮島連絡船はお乗換えです。連絡船は現在15分間隔で運航しております。駅正面の連絡船乗り場へお回りください」と案内した。鉄道・航路双方のダイヤが連携していないので、「何時何分発」でなく「15分間隔で」というあいまいな表現なのだろうが、「駅正面の乗り場」と言うことで、さりげなく(駅左の)ライバル社でなく、JRの連絡船をご利用くださいと誘導している、というのは考えすぎか。
改札口は1か所だが、駅構内には桟橋への案内看板も出ている。
青函・宇高連絡船なき今では、日本でここだけの案内である。(画像は前日の夜の撮影)

駅自体は自動改札機・窓口・券売機、確かキオスクがある、地方都市近郊の幹線の途中によくあるような駅。

JRの駅から桟橋へは直線で数百メートルだが、国道2号線を横断する。
これがクセモノで、国道は片側1車線で、駅から桟橋への通りとの十字路になっていて車用の信号機があるのだから、横断歩道をつけてくれてもよさそうなのに、横断禁止で妙に立派な地下道をもぐらないといけない。エレベーターも付いているが、お年寄りの団体客などは大変だ。今日は暑いから階段の上り下りで汗をかいた。市町合併で、宮島口側も宮島側も同じ廿日市市になったのだから、同じ市内間の観光客移動に便宜を図るために横断歩道設置を検討してくれてもいいのに・・・

連絡船は、昨日の夕方より客が多く、観光客の割合が多い。外国人も多い、欧米系の若者が大部分で、原爆ドームなどとセットで観光しているのだろう。
この時間のJRの宮島行きの便は、厳島神社の真横を通るように大回りしてくれる。
やや雨模様だが、予想通り、鳥居辺りの水はすっかり引いて、潮干狩りする人もいる。

宮島桟橋の建物を出ると、桟橋前の広場に団体客が整列していた。熟年の皆さんのようだが、かなりの人数だ。「5」の旗が見えたからバス5台分か。団体客はJRでなく、宮島松大汽船の方を利用することが多いそうだ。バス会社系列だから旅行会社との関係が強いのだろうか。

昨日の夕方は軒並み閉まっていた、参道のお店も営業していてにぎやか。

こんなものを買う。

「揚げもみじ饅頭」。
参道の中でも2店くらいでしか扱っていない。僕が買った店では、あんことカスタードの2種があり、カスタードを頼むと目の前で普通のもみじ饅頭に衣を着けて揚げてくれた。クリームが溶けておいしい。鹿が1頭「ん? 食べ物か?」という目つきで見ていたが、奈良の鹿のようにねだってきたりはしない。お土産にはできない、ユニークな宮島名物だ。

参道には焼き牡蠣やもみじ饅頭の店が並ぶ。もみじ饅頭は広島市内でも買える大手3社、宮島口だけの店もあるが、やはり宮島には店が多い。季節限定の味だったり、あんこの製法にこだわりがある店など特徴的な店や商品が多いから、事前に調べておくとよい(「もみまん通」で検索)。

昨日の夕方の写真を撮った場所に来る。階段があるので、降りて行く。

少し鳥居に近づいて振り返ってみるとこんな感じ。

鳥居までは所々水溜りがあるが、そこを避ければ、余程水に弱い靴でなければ大丈夫そう。砂だから泥の山道よりは歩きやすい。海藻が残っていて小さなカニが歩いたりしていて、本来は海の中なのだと実感する。
大鳥居の下まで来たが、大きい。これが昔の人の手で立てられたというのはすごい。

さらに近づく。フジツボがびっしり。満潮時はここまで海水が来るのだ。

社殿から鳥居の真ん中に向かって、川のように海水の筋ができている。
鳥居より外側は、水溜りの部分が多く、歩きづらいが行ってみる。長靴など防水の靴の方がいいだろう。神社の敷地外である鳥居の外ならば潮干狩りをしていいことになっていて、船からも見えたが何組かいる。
振り返ってみると、鳥居とその奥に社殿全体が見渡せ、さらに後ろに山がそびえる。さっき連絡船から見たのとそう違わない光景を、普段海の中である場所から見ていることに感動した。緑色に見えるのは海藻。

雨模様でややかすんでいたが、雨に降られることもなく、来てよかった。
浜に降りないで帰ってしまう観光客も多かったが、ぜひ鳥居の下まで歩いて、干潮時ならではの姿を体験することをお勧めしたい。

今日は宮島島内に宿泊。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島・宮島旅行記~水の都・広島でいちばん古い橋~

2008-09-17 20:53:12 | 旅行記
※本記事の写真はE-520でなくコンパクトデジカメで撮影したものです※
今後は宮島の記事になるので、広島市内最後の記事として、広島市内の川を取り上げる。

広島市は太田川河口の三角州(デルタ)上に形成された街だが、広島駅から原爆ドーム前を経て西広島駅付近にかけて、6本の太田川水系の川が流れている。
これまで何度も記事で触れたが、広島市内を移動すると、本当に川と橋の多さに驚かされる。これほど川が多い街は初めてだった。「水の都」だと実感した。大阪も水の都だが、道頓堀など人工の運河だが、広島は自然の河川で、性格が異なる。

そして、難読電停や、広島駅直前の電車渋滞の場所として、「猿猴橋町(えんこうばしちょう)」を取り上げたが、この町名は、猿猴川に架かる、猿猴橋にちなむもの。猿猴とはこの地域の伝説上の動物でカッパの仲間らしく、それが住む川だという。
そして、広島駅を出た路面電車が最初に渡る川(つまり6本のうちいちばん東の川)が猿猴川で、電車が通る橋の隣の橋が猿猴橋だった。

猿猴橋は石造りで見るからに古く、趣のある橋。
すぐ両隣に新しくて広い橋があるとはいえ、狭い猿猴橋も結構頻繁に車が通る。
川の水は淀んだ感じであまりきれいでない。

渡って、もっと写真を撮りたかったが、車が多いのと雨模様なのでたもとから撮るだけにした。

橋の表示を見ると「大正十五年(1926年)」とある。原爆にも耐えたのだろうか。爆心地からもそう遠くない。

そんなことを思って帰ってから調べてみると、
まず、橋としては、西国街道上にあり、参勤交代のルートだったそうだ。
現在の橋は、現存する6つの被爆した橋の1つ(爆心地から1820メートル)であり、広島市内の橋の中では最古のものらしい。
かつては、もっと装飾がされていたそうで、それを復元したいという声が出ているそうだ。

水の都広島に今度行った時は、川巡り、橋巡りもおもしろそうだ。

※本稿はWikipediaおよび広島市ホームページを参考にしました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする