※本記事の写真はE-520でなくコンパクトデジカメで撮影したものです※
今回の旅行は、広島に夕方に着き、市内泊、翌日は宮島島内に宿泊し、3日目の午後に広島を発つことと、潮の満ち干に合わせて、宮島に行く予定を立てていたが、それ以外は、ある程度見所をリストアップしたが、行くかどうかは天候やその時の気分で決めようという、比較的大雑把な計画だった。
広島駅に16時に着いたが、まだまだ明るい。翌日からは雨になりそうだったので、今日のうちに見られるところは見ようと思った。
広島市内は路面電車が発達しているから、今の時間からフリー乗車券を使ってもモトは取れる。駅の電車乗り場の自動販売機で購入できた。(路面電車については別記事にします)
まずはホテルにチェックインして荷物を置いてから出かける。
歩いても行けそうな距離の宿だが、フリー乗車券があるので、電車で行く。駅前からは複数の系統が出ていて、少しややこしい。
原爆ドーム前を通る系統などで駅から6つ目の「八丁堀」という繁華街の電停(電車停留所)で降りて歩くか、支線に乗り換えればいいそうだ。「猿猴橋町(えんこうばしちょう)」「銀山町(かなやまちょう)」「胡町(えびすちょう)」など難読な電停が続く。橋を2つ渡る。
前の記事で駅周辺が熊本市に似ていると書いたが、駅から電車で繁華街へ向かうルートも、直線でないところや、地元の人向けの街並み続くのが熊本によく似ている。広島市民になった気分で車窓を楽しんだ。
胡町の次が八丁堀電停、三越・福屋・天満屋と3つの百貨店があって、乗り降りする人が多かった。
広電には新しい低床タイプの「グリーンムーバー」など長くて車掌が乗っている電車もあるが、この時乗ったのは、1両でワンマン運転の昔ながらの“チンチン電車”風車両。
運転士さんの感じが良く、旅行かばんを持って、フリーきっぷの乗客だから、乗り慣れない客と分かったのだろうが、カードの挿入口など丁寧に、手際よく示してくれた。
この後、何度も広電に乗ったが、運転士や車掌は皆、接客が丁寧な印象を受けた。
乗り換えるべき支線の電車は本数が少なく、しばらく来ないので、歩く。5分とかからずホテルに到着。
楽天トラベルで素泊まり4000円のビジネスホテルだったが、窓からは隣の建物の壁しか見えないのとテレビが古い14インチなのが不満なくらいで、いい部屋だった。
見たい所は、ホテルの近場では、広島城と広島市役所17階の展望台(この2つは結局行くことができなかった)もあるが、天気のいい、明るいうちに原爆ドームと宮島に行っておくことにする。
八丁堀から4つ目の電停が原爆ドーム前だが、立町・紙屋町と繁華街が続くので、雰囲気を味わうために歩いて行ってみる。
一本裏の通りにアーケードやパルコなどがあるからか、電車通りはそれほど賑やかではないが、県庁なども近くにあり、活気はある。
右手にまもなく役目を終える広島市民球場がある。
繁華街に近く、道路に面して立地(秋田市の山王大通りと八橋球場よりも近い!)しているのが意外だった。市民生活に溶け込んでいてまさに“市民”球場だ。
市民球場のはす向かいが原爆ドーム。道路と路面電車は原爆の標的になったという、太田川に架かるT字型の相生橋を渡る。
テレビや写真で原爆ドームを見ると、道路から奥まって、平和記念公園の中にあるような印象があったが、小さな公園はあるものの、ドームそのものは通りと川に面した橋のたもとにあり、平和記念公園は川の対岸にあるのだった。
相生橋から撮影。右側に原爆ドーム、見えないが左が広島市民球場。その先が八丁堀など繁華街。
相生橋(上の写真の道路反対側)から撮影。川へ降りる階段がある。右奥のビルはたぶん広島市役所。
原爆ドームの近くへ行ってみるが、思っていたよりも小さい建物だった。補強材らしきものも見えたが、60年以上もよくこの姿を維持できたと思ってしまった。
むしろ心が痛んだのは、何万人もの人がこの近くで命を落としたという事実だ。60数年後のその場所に、自分がいる。不思議な気持ちがした。ドーム沿いの遊歩道から川面へ降りる階段があった。水を求めた多くの被爆者が、ここに殺到したのだろう。階段の途中でしばらく川を眺めた。
原爆ドーム前の遊歩道から相生橋を撮影(すぐ後ろが原爆ドーム)。橋の上で道路が交差していてT字型なのが分かる。
世界各国からの観光客が、周辺を歩いて、説明板を読んだりドームを撮影したする傍らで、ジョギングや犬の散歩をしたり、川へ降りる階段の途中に座って語らう高校生やギターを弾く若者がいたりして、広島市民の憩いの場でもあるようだ。
重苦しいだけの場所でなく、市民生活の一部として溶け込んでいて、これが真の「平和の街」の姿なのかもしれない。
次は、宮島へ行ってみる。
今回の旅行は、広島に夕方に着き、市内泊、翌日は宮島島内に宿泊し、3日目の午後に広島を発つことと、潮の満ち干に合わせて、宮島に行く予定を立てていたが、それ以外は、ある程度見所をリストアップしたが、行くかどうかは天候やその時の気分で決めようという、比較的大雑把な計画だった。
広島駅に16時に着いたが、まだまだ明るい。翌日からは雨になりそうだったので、今日のうちに見られるところは見ようと思った。
広島市内は路面電車が発達しているから、今の時間からフリー乗車券を使ってもモトは取れる。駅の電車乗り場の自動販売機で購入できた。(路面電車については別記事にします)
まずはホテルにチェックインして荷物を置いてから出かける。
歩いても行けそうな距離の宿だが、フリー乗車券があるので、電車で行く。駅前からは複数の系統が出ていて、少しややこしい。
原爆ドーム前を通る系統などで駅から6つ目の「八丁堀」という繁華街の電停(電車停留所)で降りて歩くか、支線に乗り換えればいいそうだ。「猿猴橋町(えんこうばしちょう)」「銀山町(かなやまちょう)」「胡町(えびすちょう)」など難読な電停が続く。橋を2つ渡る。
前の記事で駅周辺が熊本市に似ていると書いたが、駅から電車で繁華街へ向かうルートも、直線でないところや、地元の人向けの街並み続くのが熊本によく似ている。広島市民になった気分で車窓を楽しんだ。
胡町の次が八丁堀電停、三越・福屋・天満屋と3つの百貨店があって、乗り降りする人が多かった。
広電には新しい低床タイプの「グリーンムーバー」など長くて車掌が乗っている電車もあるが、この時乗ったのは、1両でワンマン運転の昔ながらの“チンチン電車”風車両。
運転士さんの感じが良く、旅行かばんを持って、フリーきっぷの乗客だから、乗り慣れない客と分かったのだろうが、カードの挿入口など丁寧に、手際よく示してくれた。
この後、何度も広電に乗ったが、運転士や車掌は皆、接客が丁寧な印象を受けた。
乗り換えるべき支線の電車は本数が少なく、しばらく来ないので、歩く。5分とかからずホテルに到着。
楽天トラベルで素泊まり4000円のビジネスホテルだったが、窓からは隣の建物の壁しか見えないのとテレビが古い14インチなのが不満なくらいで、いい部屋だった。
見たい所は、ホテルの近場では、広島城と広島市役所17階の展望台(この2つは結局行くことができなかった)もあるが、天気のいい、明るいうちに原爆ドームと宮島に行っておくことにする。
八丁堀から4つ目の電停が原爆ドーム前だが、立町・紙屋町と繁華街が続くので、雰囲気を味わうために歩いて行ってみる。
一本裏の通りにアーケードやパルコなどがあるからか、電車通りはそれほど賑やかではないが、県庁なども近くにあり、活気はある。
右手にまもなく役目を終える広島市民球場がある。
繁華街に近く、道路に面して立地(秋田市の山王大通りと八橋球場よりも近い!)しているのが意外だった。市民生活に溶け込んでいてまさに“市民”球場だ。
市民球場のはす向かいが原爆ドーム。道路と路面電車は原爆の標的になったという、太田川に架かるT字型の相生橋を渡る。
テレビや写真で原爆ドームを見ると、道路から奥まって、平和記念公園の中にあるような印象があったが、小さな公園はあるものの、ドームそのものは通りと川に面した橋のたもとにあり、平和記念公園は川の対岸にあるのだった。
相生橋から撮影。右側に原爆ドーム、見えないが左が広島市民球場。その先が八丁堀など繁華街。
相生橋(上の写真の道路反対側)から撮影。川へ降りる階段がある。右奥のビルはたぶん広島市役所。
原爆ドームの近くへ行ってみるが、思っていたよりも小さい建物だった。補強材らしきものも見えたが、60年以上もよくこの姿を維持できたと思ってしまった。
むしろ心が痛んだのは、何万人もの人がこの近くで命を落としたという事実だ。60数年後のその場所に、自分がいる。不思議な気持ちがした。ドーム沿いの遊歩道から川面へ降りる階段があった。水を求めた多くの被爆者が、ここに殺到したのだろう。階段の途中でしばらく川を眺めた。
原爆ドーム前の遊歩道から相生橋を撮影(すぐ後ろが原爆ドーム)。橋の上で道路が交差していてT字型なのが分かる。
世界各国からの観光客が、周辺を歩いて、説明板を読んだりドームを撮影したする傍らで、ジョギングや犬の散歩をしたり、川へ降りる階段の途中に座って語らう高校生やギターを弾く若者がいたりして、広島市民の憩いの場でもあるようだ。
重苦しいだけの場所でなく、市民生活の一部として溶け込んでいて、これが真の「平和の街」の姿なのかもしれない。
次は、宮島へ行ってみる。