前回の秋田駅に続き、竿燈まつり会場周辺の町の様子を紹介します。
竿燈に参加する町内では、各町内のお稲荷さんなどを待機場所とし、提灯で飾り付けを行う。秋田市中心部にはお稲荷さんが多いもののいつもはあまり目立たないが、この装飾があると目を引く。
川口。鳥居を隠すほどの提灯
鳥居の後ろは藤棚になっており、市の保存樹に指定されていた。ここに神社があったことすらうろ覚えだったが、フジがあったとは。忘れなきゃ来年花を見に行こう。
町内の路上に提灯を下げる町内もある。
下米町一丁目。夜は灯りもつく
寺町四区。まだ新しそうな提灯
本記事で紹介している各町内の装飾用提灯は、竿燈に取り付けるのとは形が違うだけでなく、紋の細かなデザインも多少違うものが多いようだ。
この寺町四区の場合、NHK跡地にあったもの(これも装飾用規格だけど)ともだいぶ印象が違い、扇や波の割合が大きいデザイン。
そしてこの提灯があった場所は、
善長寺という浄土宗のお寺!(塀沿いにずらりと並んでいる)
山門にも提灯
ここ「寺町(現在は旭北寺町)」は数多くの寺院が集まるエリアで、藩政時代は城下町の西外れだったようだ。善長寺は寺町の東端、町人の町寄りにある。そのため位置的に寺町四区竿燈会と親密な関係にあり、提灯を下げているのかもしれない。僕が見た限り、他の寺院では竿燈の装飾はなかった。
竿燈はそれほど宗教的な色彩は強くないが、神社からもらう御幣を竿燈に付けるから、仏教とはあまり関係なさそう。お寺と竿燈が同居するちょっとおもしろい風景。
善長寺の前の通りが五丁目橋へ至る「横町通り」。ここを境にして「上通り/下通り」と竿燈に参加する町内を分けることがあるという。横町通り周辺は多くの町内が竿燈に出ていて、少し歩くだけでいろんな提灯を見られる。
今日は梅雨明けしたかのような天気でからりとした暑さ。空の青さが今までと違う。こんな天気がまつり期間中も続くといいけど…
折り鶴マークの豊島町
豊島町は路上の提灯だけでなく、町内のほとんどの商店や家庭の店先・軒先が1個でも2個でも提灯を下げている。
医院の玄関にも
各家庭で管理しているのか、色あせたようなのもあるが、町全体で盛り上げようとしているのが分かる。
エビのマークの下肴町
こちらは路上にはないが、横町通りに面した軒先の提灯が賑やか。
ただ、提灯のデザインにばらつきがあり、以前紹介しただけでも、
NHK跡地のものは エビの輪郭は細い黒、目は黒、触覚は短い、背景は薄めの青。
駅ビルトピコ入口のものは 触覚が長く、背景は濃い青のグラデーション。
と違いがあったが、上の写真もまた異なり、
右は輪郭線がなく、目も赤、触覚はやや長い、背景の境目が直線でない、赤色がやや朱色っぽい
左は頭が小さく、輪郭線が極太、背景が濃淡2色。
といった感じ。
それにしてもいろんな場所に提灯が下がっている。
自動販売機の上に(右だけ目が黒い、左は赤が微妙に違う)
レンガ造りの近代洋風建築にも
この建物は1901=明治34年築の国登録文化財「旧大島商会」。秋田初の百貨店だったそうだが現在は花屋になっている。
葬儀屋にも
さて、「下肴町」があるからには「上肴町」もある。上と下が隣接してあるのが普通だと思うが、秋田市の場合、700メートルほど離れた4つ北隣の町が上肴町。
通町のせきや商店から茶町通りに入った所で、茶町菊之丁(ニューシティ裏)、(今の竿燈大通りを渡って、)茶町扇之丁、茶町梅之丁、豊島町を隔てて下肴町となる。
※秋田市の「広報あきた」2004年9月10日号に、やや小さいが旧町名の町割り地図が出ています。http://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/koho/htm/20040910/9-10-1.html
現在、上肴町は竿燈に出ていないが、かつては出ていたらしく、町紋がある。
竿燈に合わせて上肴町のお稲荷さんに提灯だけが飾られていた。
青い背景に鯛
下肴町と統一感のあるデザインだ(意識して合わせたのかどうかは分からない)。
このように、竿燈に参加しなくなっても、祭りの雰囲気作りに貢献しようと提灯などの装飾をする町内が最近は多い。
同じく今は竿燈に出ていない、かつての茶町梅之丁には、5年前にできた秋田市の旭北(きょくほく)地区コミュニティセンターがある。
前に竿燈が飾られていた
提灯24個の小型竿燈だが、提灯が装飾用の長いもので、本物ではない。正規の竿燈の提灯よりも安いのだろう。
「梅之丁」だけに梅の枝
そうなると茶町の菊之丁と扇之丁は菊と扇だったのだろうか? (ねぶり流し館にでも行けばすぐ分かるでしょうけど)
茶町の1つ西が「田中町」。こちらも今は竿燈に参加していない。
文具店「金圓(かねえん)」の前にだけ提灯が下がっていた
「田」を稲穂で囲っているデザインだろうか? 他の町紋とはどことなく雰囲気が違う。
さらに1ブロック西へ
明日オープンの「ローソン秋田大町二丁目店」
先日「銀行ATM」が裏返しになっていた看板の下段は、今日は「P」に変わっていた。ATMが設置されないのか?
※竿燈初日の様子はこちら。
竿燈に参加する町内では、各町内のお稲荷さんなどを待機場所とし、提灯で飾り付けを行う。秋田市中心部にはお稲荷さんが多いもののいつもはあまり目立たないが、この装飾があると目を引く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/67/28aa61a38ec885b98e3b2fa0978e1265.jpg)
鳥居の後ろは藤棚になっており、市の保存樹に指定されていた。ここに神社があったことすらうろ覚えだったが、フジがあったとは。忘れなきゃ来年花を見に行こう。
町内の路上に提灯を下げる町内もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/6d/c4d97248c30f713572f85fd620af1dc6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/7f/588c45857e2c0fac9e1e10cb5cb182e6.jpg)
本記事で紹介している各町内の装飾用提灯は、竿燈に取り付けるのとは形が違うだけでなく、紋の細かなデザインも多少違うものが多いようだ。
この寺町四区の場合、NHK跡地にあったもの(これも装飾用規格だけど)ともだいぶ印象が違い、扇や波の割合が大きいデザイン。
そしてこの提灯があった場所は、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/85/74fce5442709be3351e47d4c81c66030.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/4b/0683edfd357e7accf34810881e9636f4.jpg)
ここ「寺町(現在は旭北寺町)」は数多くの寺院が集まるエリアで、藩政時代は城下町の西外れだったようだ。善長寺は寺町の東端、町人の町寄りにある。そのため位置的に寺町四区竿燈会と親密な関係にあり、提灯を下げているのかもしれない。僕が見た限り、他の寺院では竿燈の装飾はなかった。
竿燈はそれほど宗教的な色彩は強くないが、神社からもらう御幣を竿燈に付けるから、仏教とはあまり関係なさそう。お寺と竿燈が同居するちょっとおもしろい風景。
善長寺の前の通りが五丁目橋へ至る「横町通り」。ここを境にして「上通り/下通り」と竿燈に参加する町内を分けることがあるという。横町通り周辺は多くの町内が竿燈に出ていて、少し歩くだけでいろんな提灯を見られる。
今日は梅雨明けしたかのような天気でからりとした暑さ。空の青さが今までと違う。こんな天気がまつり期間中も続くといいけど…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/42/54d7f6a49672420adc878eb3748cb0f2.jpg)
豊島町は路上の提灯だけでなく、町内のほとんどの商店や家庭の店先・軒先が1個でも2個でも提灯を下げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/59/9c3b51599ab6c66723712ec164a0cb68.jpg)
各家庭で管理しているのか、色あせたようなのもあるが、町全体で盛り上げようとしているのが分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/b7/7951fc763519fa9ce30676637b208277.jpg)
こちらは路上にはないが、横町通りに面した軒先の提灯が賑やか。
ただ、提灯のデザインにばらつきがあり、以前紹介しただけでも、
NHK跡地のものは エビの輪郭は細い黒、目は黒、触覚は短い、背景は薄めの青。
駅ビルトピコ入口のものは 触覚が長く、背景は濃い青のグラデーション。
と違いがあったが、上の写真もまた異なり、
右は輪郭線がなく、目も赤、触覚はやや長い、背景の境目が直線でない、赤色がやや朱色っぽい
左は頭が小さく、輪郭線が極太、背景が濃淡2色。
といった感じ。
それにしてもいろんな場所に提灯が下がっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/e4/fe7b57b583d7a5b0cf15b59db4145849.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/8a/272259bd2483e688945d3f8b57a8f87a.jpg)
この建物は1901=明治34年築の国登録文化財「旧大島商会」。秋田初の百貨店だったそうだが現在は花屋になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/90/c325a43473a7bd91f3dcc890bfc3fe24.jpg)
さて、「下肴町」があるからには「上肴町」もある。上と下が隣接してあるのが普通だと思うが、秋田市の場合、700メートルほど離れた4つ北隣の町が上肴町。
通町のせきや商店から茶町通りに入った所で、茶町菊之丁(ニューシティ裏)、(今の竿燈大通りを渡って、)茶町扇之丁、茶町梅之丁、豊島町を隔てて下肴町となる。
※秋田市の「広報あきた」2004年9月10日号に、やや小さいが旧町名の町割り地図が出ています。http://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/koho/htm/20040910/9-10-1.html
現在、上肴町は竿燈に出ていないが、かつては出ていたらしく、町紋がある。
竿燈に合わせて上肴町のお稲荷さんに提灯だけが飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/52/255eb4ebe4c217c9458ff66280768804.jpg)
下肴町と統一感のあるデザインだ(意識して合わせたのかどうかは分からない)。
このように、竿燈に参加しなくなっても、祭りの雰囲気作りに貢献しようと提灯などの装飾をする町内が最近は多い。
同じく今は竿燈に出ていない、かつての茶町梅之丁には、5年前にできた秋田市の旭北(きょくほく)地区コミュニティセンターがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/40/06e4c8d74c60a9a126ab97590a703067.jpg)
提灯24個の小型竿燈だが、提灯が装飾用の長いもので、本物ではない。正規の竿燈の提灯よりも安いのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/5f/5fd2dcefee1843edfe788bc6c28f0352.jpg)
そうなると茶町の菊之丁と扇之丁は菊と扇だったのだろうか? (ねぶり流し館にでも行けばすぐ分かるでしょうけど)
茶町の1つ西が「田中町」。こちらも今は竿燈に参加していない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/9e/977edd7501809f9de2017c62964d2b2b.jpg)
「田」を稲穂で囲っているデザインだろうか? 他の町紋とはどことなく雰囲気が違う。
さらに1ブロック西へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/18/01252d0ce89a6e3116f4dc0b32a81f02.jpg)
先日「銀行ATM」が裏返しになっていた看板の下段は、今日は「P」に変わっていた。ATMが設置されないのか?
※竿燈初日の様子はこちら。