秋田市泉地区にマックスバリュができるという記事で、泉地区は「スーパー激戦地」であり、その南端にある「いとく」と北端の「グランマート」の運営会社(伊徳とタカヤナギ)が、経営統合する計画があることに触れていた。
※それぞれの運営会社のデータは次の通り。
伊徳:1962年設立(株式会社としての発足。創業は1899年)。資本金5千万円。23店(秋田19店、青森4店)。従業員約1900人、売上高432億円(11年8月期)
タカヤナギ:1948年設立(同1910年)。資本金9300万円。16店。従業員約1230人。売上高198億円(11年3月期)
2月20日に、経営統合についての公式発表があった。21日の秋田魁新報経済面によれば、
・4月2日に共同持ち株会社「ユナイトホールディングス」を設立し、経営統合する契約を16日付で締結
・両社の全株式をユナイトホールディングスが保有し、完全子会社化する株式移転方式による統合。株式移転比率は公表せず。店名は存続。資本金7300万円。
・ホールディングスの会長にはタカヤナギの会長、社長には伊徳の社長が就任。秋田市土崎港のいとく将軍野店に事務所を置く。
過去には、「両社は2007年に商品の共同仕入れなどで業務提携。その後、岩手県のベルプラス、スーパーマーケットマルイチを含む4社での経営統合を目指したが、2010年5月に断念。2社による統合に向け、協議を進めていた。」という経緯があった。
Wikipediaによれば、以前の4社提携の際、いとくとベルプラスが半分ずつ出資して、2008年に「ユナイト」という共同仕入れ会社を盛岡市に設立していたそうだ。それが立ち消えになって2年後に会社は解散している。その「ユナイト」の名が復活するということのようだ。
個人的な感覚では、いとくは古くから秋田市に店があるスーパーとしてなじみがあるが、タカヤナギが進出したのは15年ほど前であり、ほとんど利用しないので縁遠い存在。
両社とも「CGC」という全国的なスーパー組織に加盟していて、プライベートブランド商品は共通だが、それ以外には、あまり共通点を見いだせないようにも感じる。
それらが経営統合しても店名も変わらないそうだから、消費者としては今までと同じで、あまりメリットがないように思う。ポイントカードが共通になるとかしてくれればいいけど。※2016年の動き
(再掲)グランマート泉店
(再掲)いとく新国道店
ところで、秋田魁新報の社会面に「シリーズ時代を語る」という連載がある。
秋田県に関係する著名人が、1か月以上に渡って毎日、自らの人生を振り返って語る形式の集中連載。
2月22日まで37回に渡って、「伊徳」会長の伊藤碩彦(いとうひろひこ)氏(1942年生まれで、以前は3代目社長)が取り上げられていた。
ざっと読んだけれど、伊藤会長の生き方・考え方とかそんなことよりも、伊徳自身や秋田のスーパー事情の時系列的な変化がいろいろと分かったのがおもしろかった。
伊徳の公式サイトやWikipedia、周りの年寄りに聞いても分からなかった情報もあって、貴重な情報だと思う。
以下、まとめてみます。※一部、伊徳の公式サイトの沿革も参照しました。(特に最初のほうはあまり読んでいなかったので)見落としや勘違いがあるかもしれません
・伊徳は、現在本社のある大館が創業地かと思っていたが、藤里町とか二ツ井町(現在・能代市二ツ井)が元々の地盤で、会長もそこの出身。
・鷹巣(現・北秋田市)進出は1956年、大館進出は1967年。本社が大館に移転したのは1968年(同年に父の急逝を受けて伊藤碩彦氏が社長就任)。
・1963(昭和38)年にセルフサービス式店舗第1号の「スーパーいとく鷹巣店」開店(セルフサービス式は1953年に東京で初登場。1959年には全国で1000店を超えた)
・1967年の大館一号店は御成町店。現在のいとく大館ショッピングセンターの隣。当時の伊徳で最大規模の売場面積600平方メートル、駐車15台。
その直後の昭和40年代には、大手総合スーパーが地方へ進出する動きが出てくる。
大館の御成町に「イトーヨーカドー出店の構想があった」そうで、「県北の建設会社が用地を確保して誘致した」が、オイルショックで立ち消え。そこを伊徳が購入して、ショッピングセンターを建てることにしたそうだ。それが1978年開店のいとく大館ショッピングセンター。
大館ショッピングセンターには当初、地元百貨店「正札竹村」(2001年倒産)がテナントとして入る予定だったが、先方の都合でなくなったという。
※ジャスコ秋田店(現・秋田フォーラス)は1974年、イトーヨーカドー弘前店は1976年、イトーヨーカドー秋田店は1980年開店
1988年には大館ショッピングセンターから遠くない場所に「ジャスコ大館店」が開店(2006年閉店)している。
・秋田市への進出は、1970(昭和45)の楢山登町店。他社のスーパーを引き継いだ店で、2000(平成12)年に閉店。
最終的(1990年代まで)に秋田市へは小規模の7店舗を進出。公式サイトの沿革によれば楢山登町店のほか、手形店(1973年)、将軍野店(1979年)、港北店(1980年)、泉店(1981年)、広面店(1990年)、仁井田店(1992年)。
将軍野店以外は後にすべて閉店(楢山登町店は2000年、手形店は2001年)。秋田市内への新規出店は2008年の新国道店まで空白となる。(後述)
・青森県へは、1980年の弘前土手町店から。新聞連載では「カクハビル地下」とあった。
以前とびいりさんに教えていただいた情報などと総合すれば、カクハビルとは「ハイローザ」のことだと考えられる。(かつてあった百貨店「かくは宮川」が閉店・解体した後に、1980年にできたのがファッションビル「ハイローザ」)
ハイローザは後にいとくが撤退、1998年にはビル自体が閉鎖されて、現在は更地になっている。
他に弘前市では、住宅地に1990年に安原店を開店。僕も行ったことがあったが、2006年に1キロくらい離れた場所に「アルカディア店」として移転している。
大館の会社が、隣県の青森や100キロほど離れた秋田市に店を出すことについて、連載では、
「次は秋田市か青森県の津軽地方、と思っていました。大館からだと津軽が近いのですが、親近感は秋田市にあります。引き継いだ店は立地条件が良くなかったものの、秋田市に出すことに意義があると思いました。」
と述べている。
大館と弘前は峠があるとはいえ、ほんとうに近く、大館から弘前へ買い物や飲食に出かけることが多い。
「県」という縛りがあるから、秋田市へ目を向けてくれていることもあるだろうが、会長以外の大館の皆さんも、弘前より秋田市のほうに親近感を感じてくれているのだろうか。
また、大館から秋田市や青森へ出店するのには苦労もあるようで、
「大館と秋田では食習慣が違うので売れ筋も違うし、他店との競争環境も異なりますから、価格設定も変えなくてはなりません。現在4店舗を出している青森県の津軽地方になると、もっと違います。」
津軽ではリンゴ収穫期に作業しながら食べるためパンが売れるので、大量に仕入れなくてはならないという例を挙げていた。
それから、秋田市の楢山登町店について、
「結果は失敗。平成12(2000)年に閉店しました。」
としているが、1970年から2000年まで30年も続いたのだし、世の中だって大きく変わった時代。よくもこれだけ続いたと考えたほうがよさそうに思う。
楢山の「刈穂橋東」交差点(奥が有楽町方向)。右側がいとく楢山登町店跡
僕は入ったことはないが、楢山登町にいとくがあったのはよく覚えている。
上り「楢山登町」バス停の向かいの、現在は医院と調剤薬局になっている場所。
民家2件分くらいしかなさそうな狭い敷地で、今の感覚ではここにスーパーがあったとは考えられない。
変形交差点に面している上、横断地下道の出入り口もあって、車の出入りはしづらそう。(駐車場はなかったのか)
上りバス停付近から。向かいがいとく跡
1995年には、500メートルほどのところに秋田サティ(現・イオン秋田中央店)が開店して、太刀打ちできなかったのかもしれない。
秋田市で競争に負けたのは、店舗が小さかったことと「「県北のスーパー」というイメージから脱却できなかったのです。」ということだ。
僕は未だにいとくは県北のというか大館のスーパーという意識は持っている。
でも、それは悪い意味ではなく、秋田県の地元企業であり、県中央部にはない個性を持つスーパーというプラスのイメージ。(秋田市にいとくほどの大手地元スーパーがないということもある)
全国展開するわけではないのだし、別にいいと思うけど。
ところで、現在、地方スーパーの最大のライバルといえば、イオングループであろう。かつては「ジャスコ」で起源は1970年頃までさかのぼる。
連載で、なんと、伊徳は一時期、ジャスコと関係があったことが分かった。(資本関係があったとかではなく、企業どうしの提携みたいなものかもしれない)
「同業他社と連携しようと、昭和40年代の半ばには東北ジャスコグループに加盟しました。」
「本荘のつるまい、大曲のタカヤナギ、酒田のマルイチ、山形のヤマザワ、米沢のカクダイ、会津若松のマルトミ、新潟のホリカワ、伊徳の8社、それに大手のジャスコを加えたグループです。」
「商品の共同仕入れから始め、いずれは合併を、との構想をジャスコの岡田卓也社長(現イオン名誉会長相談役)は描いていました。実際、グループの中の何社かは、後にジャスコと合併しました。」
「私も繰り返し口説かれましたが、人に使われるのは嫌だなあと思い、乗りませんでした。グループは昭和50年ごろに自然消滅しました。」
会長の結婚式には岡田氏も来たほど親密だったようだが、
「東北ジャスコグループから抜けてからは、同じ商圏でイオンと競合することが多くなりました。合併の誘いを断ったことが影響しているのかもしれません。でも日本一の小売企業ですから、胸を借りて鍛えてもらっている、と私は思っています。」
「何社かは、後にジャスコと合併」とあるのは、確実なのは「つるまい」と「カクダイ」。どちらも合併や再編を繰り返し、現在のマックスバリュ東北の前身の1つ。
会長が若い頃、父(当時の社長)とつるまいの社長が親しかった縁で、つるまいで見習いをしたことがあったそうだ。
その後、1983(昭和58)年(公式サイトでは1982年となっている)に東北CGCグループ(CGCジャパンの東北ブロック組織)に加盟している。
伊徳では、2000年前後に、秋田市の店の多くをたたんだり、従来の小型店の代わりに大型店を建てるスクラップ・アンド・ビルドを行ったり、イオンに対抗して新規出店したりしている。
その結果、一時的に収益が下がった時期があり、伊徳の経営危機の噂が流れたそうだ。
2001年10月22日に噂が流れ、1か月後に取引先を集めて営業報告会を行って、噂は収束した。
「風評の発信源は、13年(=2001年)10月に青森市で開かれた某スーパーチェーンの債権者集会でした。伊徳はその1カ月前に手形店(秋田市)を閉めていましたが、そのことが債権者集会で「伊徳の手形が」「店から商品や陳列棚を出していた」などと断片的に伝わったようです。」
倒産したスーパーとは「亀屋みなみチェーン」だろう。
つまり有価証券の「手形」と秋田市の地名の「手形」が、青森方面で混同・勘違いされたのが原因。
噂って恐ろしい。
その後、
「あるスーパーチェーンの元役員を専務として招きました。10年前のことです。」
その2年後にさらにその関係者も招いている(現専務)。
あるスーパーとは、イトーヨーカドー系列の「ヨークベニマル」のようだ。
上記の通り、秋田市や津軽の店も大館からコントロールするのには限界を感じていたこともあり、本部と店舗の権限の配分見直しや在庫圧縮、パート(パートナー社員)の視点の活用といった改革を行った。
それらを初めて形にしたのが、秋田市に2008年に開店した新国道店。翌年には秋田市広面に秋田東店を開店。
一昨年に長女の夫に社長を引き継いだ話などで連載が終わっているが、それは伊徳とタカヤナギの経営統合が報じられた翌日のことだった。
連載では経営統合については一切触れていないが、絶妙のタイミングだった。
伊藤氏は、大館の商工関係団体の役職も歴任している。
1989年に「大館まちづくり協議会」初代会長となり、長木川を挟んで分かれる南北の商店街(大町と御成町)を結ぶシャトルバスをお盆に2年間運行し、採算が取れたそうだ。
そのバスに使った車両が、秋田市交通局の二階建てバス「みはらし号(181号車)」だったそうだ。
1990年からは大館商工会議所会頭を3期8年間務めた。
長期となったのは不本意だったようで、大手スーパーの攻勢が強まりつつあり、本業に専念したかったそうだ。
秋田商工会議所の現在の会頭さんは「本業に専念」しなくていいのですかね…
秋田市にかつてあって閉店した6つのいとく各店舗の所在地は、楢山登町店以外はよく分からないものが多い。
27日にアップされた「秋田建設工業新聞」サイトで、仁井田店の所在地が偶然にも判明した。同店跡地に、JAの葬祭ホール(JA虹のホール「レゼール仁井田」)ができるという。それによれば「秋田南消防署向かいの国道13号沿い」だそう。
また手形店は、手形陸橋の通りにあったそうだ。現在の秋田東店と同じ通り。
手形店をよく利用していて閉店して困っていたが、またいとくが戻ってきてくれて喜んでいる人がいた。
広面、港北、泉各店については不明。
【3月1日追記】閉店した各スーパーの場所について、皆さまから情報をいただきました。この記事のコメント欄をご覧ください。
【2022年3月8日追記・手形店の場所について】
1991年4月6日付 秋田魁新報の、手形陸橋前後の県道の中央線変移(リバーシブルレーン)開始を伝える記事で、その実施区間が「手形蛇野の「スーパーいとく」手形店前から(脳研前まで)」とあるので、現在、パチンコ店「NEW YORK×2 広面店」やその駐車場付近だと考えられる。現、いとく秋田東店はそこから400メートル強東側の、同じ道の同じ側。(以上追記)
そんな話を周りの人生の先輩方に伺う中で、いとく以外の昔のスーパー事情が少し分かってきた。
上でも出てきた、マックスバリュ東北の前身の「つるまい」。僕は本荘にあった記憶しかなく、秋田市の土崎駅裏側のマックスバリュ東北本社の建物が、昔はつるまいの店舗だったというのもピンとこない。(建物の外観から察しはつくけれど)
聞いた限りでは、新屋表町の新屋西線のバス通りや、山王地区など中心部にも、つるまいがけっこう長期間存在していたという。
【2013年3月11日追記】魁の「シリーズ時代を語る」が、同社から本として出版されていた。「さきがけ新書 ブルーブックス」というシリーズ(講談社ブルーバックスと紛らわしい…)で、2013年3月でいとく社長を含めて3冊が出ている。
いとく社長のは「ぶつかって道を開く」というタイトル。
※それぞれの運営会社のデータは次の通り。
伊徳:1962年設立(株式会社としての発足。創業は1899年)。資本金5千万円。23店(秋田19店、青森4店)。従業員約1900人、売上高432億円(11年8月期)
タカヤナギ:1948年設立(同1910年)。資本金9300万円。16店。従業員約1230人。売上高198億円(11年3月期)
2月20日に、経営統合についての公式発表があった。21日の秋田魁新報経済面によれば、
・4月2日に共同持ち株会社「ユナイトホールディングス」を設立し、経営統合する契約を16日付で締結
・両社の全株式をユナイトホールディングスが保有し、完全子会社化する株式移転方式による統合。株式移転比率は公表せず。店名は存続。資本金7300万円。
・ホールディングスの会長にはタカヤナギの会長、社長には伊徳の社長が就任。秋田市土崎港のいとく将軍野店に事務所を置く。
過去には、「両社は2007年に商品の共同仕入れなどで業務提携。その後、岩手県のベルプラス、スーパーマーケットマルイチを含む4社での経営統合を目指したが、2010年5月に断念。2社による統合に向け、協議を進めていた。」という経緯があった。
Wikipediaによれば、以前の4社提携の際、いとくとベルプラスが半分ずつ出資して、2008年に「ユナイト」という共同仕入れ会社を盛岡市に設立していたそうだ。それが立ち消えになって2年後に会社は解散している。その「ユナイト」の名が復活するということのようだ。
個人的な感覚では、いとくは古くから秋田市に店があるスーパーとしてなじみがあるが、タカヤナギが進出したのは15年ほど前であり、ほとんど利用しないので縁遠い存在。
両社とも「CGC」という全国的なスーパー組織に加盟していて、プライベートブランド商品は共通だが、それ以外には、あまり共通点を見いだせないようにも感じる。
それらが経営統合しても店名も変わらないそうだから、消費者としては今までと同じで、あまりメリットがないように思う。ポイントカードが共通になるとかしてくれればいいけど。※2016年の動き
(再掲)グランマート泉店
(再掲)いとく新国道店
ところで、秋田魁新報の社会面に「シリーズ時代を語る」という連載がある。
秋田県に関係する著名人が、1か月以上に渡って毎日、自らの人生を振り返って語る形式の集中連載。
2月22日まで37回に渡って、「伊徳」会長の伊藤碩彦(いとうひろひこ)氏(1942年生まれで、以前は3代目社長)が取り上げられていた。
ざっと読んだけれど、伊藤会長の生き方・考え方とかそんなことよりも、伊徳自身や秋田のスーパー事情の時系列的な変化がいろいろと分かったのがおもしろかった。
伊徳の公式サイトやWikipedia、周りの年寄りに聞いても分からなかった情報もあって、貴重な情報だと思う。
以下、まとめてみます。※一部、伊徳の公式サイトの沿革も参照しました。(特に最初のほうはあまり読んでいなかったので)見落としや勘違いがあるかもしれません
・伊徳は、現在本社のある大館が創業地かと思っていたが、藤里町とか二ツ井町(現在・能代市二ツ井)が元々の地盤で、会長もそこの出身。
・鷹巣(現・北秋田市)進出は1956年、大館進出は1967年。本社が大館に移転したのは1968年(同年に父の急逝を受けて伊藤碩彦氏が社長就任)。
・1963(昭和38)年にセルフサービス式店舗第1号の「スーパーいとく鷹巣店」開店(セルフサービス式は1953年に東京で初登場。1959年には全国で1000店を超えた)
・1967年の大館一号店は御成町店。現在のいとく大館ショッピングセンターの隣。当時の伊徳で最大規模の売場面積600平方メートル、駐車15台。
その直後の昭和40年代には、大手総合スーパーが地方へ進出する動きが出てくる。
大館の御成町に「イトーヨーカドー出店の構想があった」そうで、「県北の建設会社が用地を確保して誘致した」が、オイルショックで立ち消え。そこを伊徳が購入して、ショッピングセンターを建てることにしたそうだ。それが1978年開店のいとく大館ショッピングセンター。
大館ショッピングセンターには当初、地元百貨店「正札竹村」(2001年倒産)がテナントとして入る予定だったが、先方の都合でなくなったという。
※ジャスコ秋田店(現・秋田フォーラス)は1974年、イトーヨーカドー弘前店は1976年、イトーヨーカドー秋田店は1980年開店
1988年には大館ショッピングセンターから遠くない場所に「ジャスコ大館店」が開店(2006年閉店)している。
・秋田市への進出は、1970(昭和45)の楢山登町店。他社のスーパーを引き継いだ店で、2000(平成12)年に閉店。
最終的(1990年代まで)に秋田市へは小規模の7店舗を進出。公式サイトの沿革によれば楢山登町店のほか、手形店(1973年)、将軍野店(1979年)、港北店(1980年)、泉店(1981年)、広面店(1990年)、仁井田店(1992年)。
将軍野店以外は後にすべて閉店(楢山登町店は2000年、手形店は2001年)。秋田市内への新規出店は2008年の新国道店まで空白となる。(後述)
・青森県へは、1980年の弘前土手町店から。新聞連載では「カクハビル地下」とあった。
以前とびいりさんに教えていただいた情報などと総合すれば、カクハビルとは「ハイローザ」のことだと考えられる。(かつてあった百貨店「かくは宮川」が閉店・解体した後に、1980年にできたのがファッションビル「ハイローザ」)
ハイローザは後にいとくが撤退、1998年にはビル自体が閉鎖されて、現在は更地になっている。
他に弘前市では、住宅地に1990年に安原店を開店。僕も行ったことがあったが、2006年に1キロくらい離れた場所に「アルカディア店」として移転している。
大館の会社が、隣県の青森や100キロほど離れた秋田市に店を出すことについて、連載では、
「次は秋田市か青森県の津軽地方、と思っていました。大館からだと津軽が近いのですが、親近感は秋田市にあります。引き継いだ店は立地条件が良くなかったものの、秋田市に出すことに意義があると思いました。」
と述べている。
大館と弘前は峠があるとはいえ、ほんとうに近く、大館から弘前へ買い物や飲食に出かけることが多い。
「県」という縛りがあるから、秋田市へ目を向けてくれていることもあるだろうが、会長以外の大館の皆さんも、弘前より秋田市のほうに親近感を感じてくれているのだろうか。
また、大館から秋田市や青森へ出店するのには苦労もあるようで、
「大館と秋田では食習慣が違うので売れ筋も違うし、他店との競争環境も異なりますから、価格設定も変えなくてはなりません。現在4店舗を出している青森県の津軽地方になると、もっと違います。」
津軽ではリンゴ収穫期に作業しながら食べるためパンが売れるので、大量に仕入れなくてはならないという例を挙げていた。
それから、秋田市の楢山登町店について、
「結果は失敗。平成12(2000)年に閉店しました。」
としているが、1970年から2000年まで30年も続いたのだし、世の中だって大きく変わった時代。よくもこれだけ続いたと考えたほうがよさそうに思う。
楢山の「刈穂橋東」交差点(奥が有楽町方向)。右側がいとく楢山登町店跡
僕は入ったことはないが、楢山登町にいとくがあったのはよく覚えている。
上り「楢山登町」バス停の向かいの、現在は医院と調剤薬局になっている場所。
民家2件分くらいしかなさそうな狭い敷地で、今の感覚ではここにスーパーがあったとは考えられない。
変形交差点に面している上、横断地下道の出入り口もあって、車の出入りはしづらそう。(駐車場はなかったのか)
上りバス停付近から。向かいがいとく跡
1995年には、500メートルほどのところに秋田サティ(現・イオン秋田中央店)が開店して、太刀打ちできなかったのかもしれない。
秋田市で競争に負けたのは、店舗が小さかったことと「「県北のスーパー」というイメージから脱却できなかったのです。」ということだ。
僕は未だにいとくは県北のというか大館のスーパーという意識は持っている。
でも、それは悪い意味ではなく、秋田県の地元企業であり、県中央部にはない個性を持つスーパーというプラスのイメージ。(秋田市にいとくほどの大手地元スーパーがないということもある)
全国展開するわけではないのだし、別にいいと思うけど。
ところで、現在、地方スーパーの最大のライバルといえば、イオングループであろう。かつては「ジャスコ」で起源は1970年頃までさかのぼる。
連載で、なんと、伊徳は一時期、ジャスコと関係があったことが分かった。(資本関係があったとかではなく、企業どうしの提携みたいなものかもしれない)
「同業他社と連携しようと、昭和40年代の半ばには東北ジャスコグループに加盟しました。」
「本荘のつるまい、大曲のタカヤナギ、酒田のマルイチ、山形のヤマザワ、米沢のカクダイ、会津若松のマルトミ、新潟のホリカワ、伊徳の8社、それに大手のジャスコを加えたグループです。」
「商品の共同仕入れから始め、いずれは合併を、との構想をジャスコの岡田卓也社長(現イオン名誉会長相談役)は描いていました。実際、グループの中の何社かは、後にジャスコと合併しました。」
「私も繰り返し口説かれましたが、人に使われるのは嫌だなあと思い、乗りませんでした。グループは昭和50年ごろに自然消滅しました。」
会長の結婚式には岡田氏も来たほど親密だったようだが、
「東北ジャスコグループから抜けてからは、同じ商圏でイオンと競合することが多くなりました。合併の誘いを断ったことが影響しているのかもしれません。でも日本一の小売企業ですから、胸を借りて鍛えてもらっている、と私は思っています。」
「何社かは、後にジャスコと合併」とあるのは、確実なのは「つるまい」と「カクダイ」。どちらも合併や再編を繰り返し、現在のマックスバリュ東北の前身の1つ。
会長が若い頃、父(当時の社長)とつるまいの社長が親しかった縁で、つるまいで見習いをしたことがあったそうだ。
その後、1983(昭和58)年(公式サイトでは1982年となっている)に東北CGCグループ(CGCジャパンの東北ブロック組織)に加盟している。
伊徳では、2000年前後に、秋田市の店の多くをたたんだり、従来の小型店の代わりに大型店を建てるスクラップ・アンド・ビルドを行ったり、イオンに対抗して新規出店したりしている。
その結果、一時的に収益が下がった時期があり、伊徳の経営危機の噂が流れたそうだ。
2001年10月22日に噂が流れ、1か月後に取引先を集めて営業報告会を行って、噂は収束した。
「風評の発信源は、13年(=2001年)10月に青森市で開かれた某スーパーチェーンの債権者集会でした。伊徳はその1カ月前に手形店(秋田市)を閉めていましたが、そのことが債権者集会で「伊徳の手形が」「店から商品や陳列棚を出していた」などと断片的に伝わったようです。」
倒産したスーパーとは「亀屋みなみチェーン」だろう。
つまり有価証券の「手形」と秋田市の地名の「手形」が、青森方面で混同・勘違いされたのが原因。
噂って恐ろしい。
その後、
「あるスーパーチェーンの元役員を専務として招きました。10年前のことです。」
その2年後にさらにその関係者も招いている(現専務)。
あるスーパーとは、イトーヨーカドー系列の「ヨークベニマル」のようだ。
上記の通り、秋田市や津軽の店も大館からコントロールするのには限界を感じていたこともあり、本部と店舗の権限の配分見直しや在庫圧縮、パート(パートナー社員)の視点の活用といった改革を行った。
それらを初めて形にしたのが、秋田市に2008年に開店した新国道店。翌年には秋田市広面に秋田東店を開店。
一昨年に長女の夫に社長を引き継いだ話などで連載が終わっているが、それは伊徳とタカヤナギの経営統合が報じられた翌日のことだった。
連載では経営統合については一切触れていないが、絶妙のタイミングだった。
伊藤氏は、大館の商工関係団体の役職も歴任している。
1989年に「大館まちづくり協議会」初代会長となり、長木川を挟んで分かれる南北の商店街(大町と御成町)を結ぶシャトルバスをお盆に2年間運行し、採算が取れたそうだ。
そのバスに使った車両が、秋田市交通局の二階建てバス「みはらし号(181号車)」だったそうだ。
1990年からは大館商工会議所会頭を3期8年間務めた。
長期となったのは不本意だったようで、大手スーパーの攻勢が強まりつつあり、本業に専念したかったそうだ。
秋田商工会議所の現在の会頭さんは「本業に専念」しなくていいのですかね…
秋田市にかつてあって閉店した6つのいとく各店舗の所在地は、楢山登町店以外はよく分からないものが多い。
27日にアップされた「秋田建設工業新聞」サイトで、仁井田店の所在地が偶然にも判明した。同店跡地に、JAの葬祭ホール(JA虹のホール「レゼール仁井田」)ができるという。それによれば「秋田南消防署向かいの国道13号沿い」だそう。
また手形店は、手形陸橋の通りにあったそうだ。現在の秋田東店と同じ通り。
手形店をよく利用していて閉店して困っていたが、またいとくが戻ってきてくれて喜んでいる人がいた。
【3月1日追記】閉店した各スーパーの場所について、皆さまから情報をいただきました。この記事のコメント欄をご覧ください。
【2022年3月8日追記・手形店の場所について】
1991年4月6日付 秋田魁新報の、手形陸橋前後の県道の中央線変移(リバーシブルレーン)開始を伝える記事で、その実施区間が「手形蛇野の「スーパーいとく」手形店前から(脳研前まで)」とあるので、現在、パチンコ店「NEW YORK×2 広面店」やその駐車場付近だと考えられる。現、いとく秋田東店はそこから400メートル強東側の、同じ道の同じ側。(以上追記)
そんな話を周りの人生の先輩方に伺う中で、いとく以外の昔のスーパー事情が少し分かってきた。
上でも出てきた、マックスバリュ東北の前身の「つるまい」。僕は本荘にあった記憶しかなく、秋田市の土崎駅裏側のマックスバリュ東北本社の建物が、昔はつるまいの店舗だったというのもピンとこない。(建物の外観から察しはつくけれど)
聞いた限りでは、新屋表町の新屋西線のバス通りや、山王地区など中心部にも、つるまいがけっこう長期間存在していたという。
【2013年3月11日追記】魁の「シリーズ時代を語る」が、同社から本として出版されていた。「さきがけ新書 ブルーブックス」というシリーズ(講談社ブルーバックスと紛らわしい…)で、2013年3月でいとく社長を含めて3冊が出ている。
いとく社長のは「ぶつかって道を開く」というタイトル。