電柱などにそこの地名が書かれた板が設置されている。「街区表示板」といって、住居表示を実施した場所に自治体が設置することが義務づけられている。
全国的に青色に白文字縦書きが多いものの、自治体によっては違う色だったり、ローマ字や市章が入っていたり多少異なる。
秋田市は、こういうもの。
(いずれも再掲)
青地の金属板に、独特の角張った白文字が浮き出たもので、現在はふりがな付きというのが基本。
秋田市市民生活部生活総務課のホームページには「平成13年度から更新する作業を地区ごとに行っており」とあるものの、たまに古いものが残っている。
※以下、古いものは場所の特定を避けるため、番地を隠すことにします。
楢山登町。電柱に1枚、奥の壁にも1枚
古い表示板は、電柱よりも民家の壁や塀に設置されていることが多い。上のケースでは、おそらく壁の改修工事がされても引き続き残され、さらに電柱に新しい表示板が設置されても残っていることになる。そのお宅の意向で残っているということなのだろうか。
だいぶ薄れているけれど
ふりがなはない。特徴的なのは下に「秋田ボーリングセンター」と広告入りであること。スポンサー付き表示板は全国的にたまに見られるようだ。
ここから遠くない南通築地にあるスーパー「ト一屋楢山店」の場所に、以前はボウリング場があった(建物自体はスーパーと同じはず)そうで、そこが広告主だったようだ。一般的に「ボ“ウ”リング」と表記するがここは「ボ“ー”リング」だったのだろうか。
ボウリング場オープンが1966年、楢山登町の住居表示実施が1967年。
なお、楢山の「楢」は、つくりの上が「八」のものとツノ2本のものが存在し、上の新旧でも異なっている。
パソコンにおいては、以前はツノ2つ、2007年のWindowsVista以降は八に変わったように変遷しているし、手書きなどでは「八」の部分を「ハ」とされることもある、街区表示板以外の場面でもいろいろな「楢」が混在しているのが実情。
(再掲)
もう1つ古いもの。
保戸野鉄砲町
これは、文字が浮き出しではなく、板に直接書き込んでいるようだ。「鉄」の金偏など、時代を感じる文字。
この広告主は「酒は天下の太平山」。
保戸野鉄砲町の住居表示実施は1966年。※これより状態が良いものを発見(リンク先中ほど)
秋田市広報紙「広報あきた」の1966年8月10日付316号に「街区表示板の取り付け進む 民間会社、団体の協力で」という記事があった。
街区表示板は「共栄火災海上、中央ライオンズクラブ、小玉合名会社、福島の国華酒造KKなどの理解と協力によって取り付けられています。 」「これまでにも黄金井酒造KK、信用金庫、新政酒造KK、森永牛乳KKなどの会社が住居表示事業に協力しています。」とある。
その後、1967年には株式会社秋田ボーリングセンターなどから寄贈されたとあり、それが上の楢山のことだろう。
1968年には土崎地区でも、共栄火災やライオンズクラブ、ロータリークラブから表示板が贈られたことが紹介されていた。
その土崎でも、新旧が近接したものがあった。
土崎港南一丁目
分かりにくいけれど、奥の古いほうは浮き出し文字ではないもので、広告は「秋田港ロータリークラブ」。
そして、新しいほうの表示板は、おそらく最新仕様。(2011年初めに気づいた)
ふりがなは「丁目」の部分に「ちょうめ」というふりがながあるものとないものがあるが、これは「つちざきみなとみなみ」だけで「丁目」にはない。
その書体は、従来は漢字と同じ角張ったものだったが、これは
丸ゴシック体
パソコンでおなじみの「HG丸ゴシックM」ではないだろうか。
街区表示板もよく見るとおもしろい。
ついでに、「ここは」と地名が表示されることが多い、電柱の広告。
最近はそれこそ丸ゴシック体で表示されたものも出てきているが、多くは毛筆の達筆な手書き。たまに間違って書かれることがある。
ここは…
「八橋四五郎一丁目」って
八橋田五郎(やばせたごろう)が、なぜか「“四“五郎」になってしまった?!
確認した限り、この電柱の2枚が四五郎。近隣の電柱は正しく田五郎だった。
※この記事中ほども参照、この記事後半も参照。
全国的に青色に白文字縦書きが多いものの、自治体によっては違う色だったり、ローマ字や市章が入っていたり多少異なる。
秋田市は、こういうもの。
(いずれも再掲)
青地の金属板に、独特の角張った白文字が浮き出たもので、現在はふりがな付きというのが基本。
秋田市市民生活部生活総務課のホームページには「平成13年度から更新する作業を地区ごとに行っており」とあるものの、たまに古いものが残っている。
※以下、古いものは場所の特定を避けるため、番地を隠すことにします。
楢山登町。電柱に1枚、奥の壁にも1枚
古い表示板は、電柱よりも民家の壁や塀に設置されていることが多い。上のケースでは、おそらく壁の改修工事がされても引き続き残され、さらに電柱に新しい表示板が設置されても残っていることになる。そのお宅の意向で残っているということなのだろうか。
だいぶ薄れているけれど
ふりがなはない。特徴的なのは下に「秋田ボーリングセンター」と広告入りであること。スポンサー付き表示板は全国的にたまに見られるようだ。
ここから遠くない南通築地にあるスーパー「ト一屋楢山店」の場所に、以前はボウリング場があった(建物自体はスーパーと同じはず)そうで、そこが広告主だったようだ。一般的に「ボ“ウ”リング」と表記するがここは「ボ“ー”リング」だったのだろうか。
ボウリング場オープンが1966年、楢山登町の住居表示実施が1967年。
なお、楢山の「楢」は、つくりの上が「八」のものとツノ2本のものが存在し、上の新旧でも異なっている。
パソコンにおいては、以前はツノ2つ、2007年のWindowsVista以降は八に変わったように変遷しているし、手書きなどでは「八」の部分を「ハ」とされることもある、街区表示板以外の場面でもいろいろな「楢」が混在しているのが実情。
(再掲)
もう1つ古いもの。
保戸野鉄砲町
これは、文字が浮き出しではなく、板に直接書き込んでいるようだ。「鉄」の金偏など、時代を感じる文字。
この広告主は「酒は天下の太平山」。
保戸野鉄砲町の住居表示実施は1966年。※これより状態が良いものを発見(リンク先中ほど)
秋田市広報紙「広報あきた」の1966年8月10日付316号に「街区表示板の取り付け進む 民間会社、団体の協力で」という記事があった。
街区表示板は「共栄火災海上、中央ライオンズクラブ、小玉合名会社、福島の国華酒造KKなどの理解と協力によって取り付けられています。 」「これまでにも黄金井酒造KK、信用金庫、新政酒造KK、森永牛乳KKなどの会社が住居表示事業に協力しています。」とある。
その後、1967年には株式会社秋田ボーリングセンターなどから寄贈されたとあり、それが上の楢山のことだろう。
1968年には土崎地区でも、共栄火災やライオンズクラブ、ロータリークラブから表示板が贈られたことが紹介されていた。
その土崎でも、新旧が近接したものがあった。
土崎港南一丁目
分かりにくいけれど、奥の古いほうは浮き出し文字ではないもので、広告は「秋田港ロータリークラブ」。
そして、新しいほうの表示板は、おそらく最新仕様。(2011年初めに気づいた)
ふりがなは「丁目」の部分に「ちょうめ」というふりがながあるものとないものがあるが、これは「つちざきみなとみなみ」だけで「丁目」にはない。
その書体は、従来は漢字と同じ角張ったものだったが、これは
丸ゴシック体
パソコンでおなじみの「HG丸ゴシックM」ではないだろうか。
街区表示板もよく見るとおもしろい。
ついでに、「ここは」と地名が表示されることが多い、電柱の広告。
最近はそれこそ丸ゴシック体で表示されたものも出てきているが、多くは毛筆の達筆な手書き。たまに間違って書かれることがある。
ここは…
「八橋四五郎一丁目」って
八橋田五郎(やばせたごろう)が、なぜか「“四“五郎」になってしまった?!
確認した限り、この電柱の2枚が四五郎。近隣の電柱は正しく田五郎だった。
※この記事中ほども参照、この記事後半も参照。