秋田市八橋(やばせ)の草生津川(くそうづがわ)に架かる、旧羽州街道・旧国道(現在は秋田市道)の橋が「面影橋(おもかげばし)」。
バス停もあるし、無名交差点が多い秋田では珍しく交差点の名称(橋の東詰)にもなっており、規模のわりには知名度の高い橋であろう。
現在は、200メートル強上流に幅が広い「やばせ橋」が開通してはいるが、それでもなお、面影橋を通行する車は少なくない。
上流側から。左の対岸が面影橋交差点
橋はカーブしており、西側から進むと面影橋交差点の信号が見づらいため、対岸の西詰側に予告信号が設置されている。今は予告灯もフラット型に更新されていた。
「おもかげはし」
橋の銘板の仮名表記では「~ばし」ではなく濁らない「~はし」とするのが一般的。
さて、面影橋という、なんとなくいわくありげな名前には、伝説というか言い伝えがある。
江戸時代、この近くに久保田藩の処刑場があった。そこへ連れて行かれる罪人が、この橋の上で、川面に映る最期の自分の姿(面影)を眺めた。というもの。
少なくとも、現代の日本語における「面影」の意味とは少し違う気もしなくはないが、いちおう公式な言い伝え(?)になっているようだ。
この由来を聞いて、秋田以外の方は「おや?」と思われたかもしれない。
東京都新宿区(かな?)の神田川に「面影橋」という橋があり、その由来とまったく同じ話なのだ。※東京の面影橋の由来は他の説もあり。
都電荒川線に「面影橋」という停留所もあり、ネットで「面影橋」だけで検索すると東京の面影橋ばかりがヒットする。
秋田と東京でまったく同じ話があって、たまたま同じ名前の橋になったのか。それとも、たまたま処刑場の近くに橋があったから…とどちらかから話を持ってきて、後付けで名付けられた橋なのか。
【2023年11月3日追記・似たようなもので「泪橋/涙橋」というのも、東京のほか全国に存在する。】
ここから本題。
川がカーブし、大きな道路からは並木や家並みで隠れてよく見えないので知らない人が多いと思われるが、面影橋の下流160メートルほどの所にも、橋が架かっている。
この橋。奥に面影橋が少し見えている
この橋の名前は、
「下面影橋」
ガードレールを高欄代わりにしていて、そこに小さな銘板が付いていた。(面影橋もガードレールを使っているが、上の写真の通り、銘板は石に付いている)
ひらがなは「しもおもかげばし」と、珍しく「はし」ではなく濁っている。【24日追記】一般的には河川名称や竣工年月の銘板も設置されるが、ここにはないようだ。
下面影橋の由来は「面影橋の下流に架かる橋だから」ということだろうから、「面影橋ありき」の命名である。
駅とかバス停ではそういう命名方法があるけれど、橋の名前では他にあるだろうか。秋田市では旭川に「下新橋」があるが、対応する「上新橋」などは存在しないし。
旧道の「○○橋」に対して、バイパスに「新○○橋」があるケースはあるが、上とか下とか位置関係を明確にしたものはあまりないかもしれない。
下面影橋の西(北?)岸側は小さい山。周囲の建物は限られている。堤防の歩行者通路(コスモスロードの一部)はどの方向にも進めるが、車は西詰で下流方向へ左折しかできず、しかもその先で実質的に行き止まり。
したがって、西詰すぐにあるアパート、左折した所の秋田市農林部庁舎、行き止まりにある秋田市上下水道局八橋庁舎(昔の下水道部)・八橋下水道終末処理場へ用のある車しか渡らない橋ということになる。
【25日追記】農林部庁舎は「秋田市役所八橋別館」という名称だそう。毎年春には、東北森林管理局と合同で山火事防止パトロールの出発式が庁舎前で開催されており、今年は23日に開催。報道によれば森林パトロールカーなど多くの車が出発していったので、おそらく下面影橋を渡ったのだろう。
Googleマップより。青い線はストリートビュー
上の地図の赤い「×」が行き止まり地点。ストリートビューはそこで引き返している。
橋の上に2つの看板
橋の上のガードレールの外側というちょっと変わった位置に2つ看板が付いている。1つは終末処理場と農林部への案内。もう1つは、薄れているけど「通り抜け禁止」。
「通り抜け禁止」は下面影橋を渡るなという意味ではなく、渡った先、行き止まりの所で上下水道局敷地内に入り込んで国道7号線(臨海バイパス)へ通り抜けるのを禁止するという意味なんだろう。
なお、歩行者は堤防を歩いて臨海バイパスと行き来できる。
下面影橋は秋田市の2つの施設専用の橋のようにも思えるが、アパートがある以上、ごく普通の秋田市道の橋。下面影橋がなければ、アパートへ車で行くことは不可能。
渡った先が行き止まりで、利用者がごく限られた公道の橋というのも珍しい。
現代ではこの程度の川幅の橋ならば、橋脚がなく両岸の橋台だけで橋本体を支えるのが一般的。面影橋もそう。
しかし下面影橋は、3本の橋脚が川に立っている。1つ1つの橋脚は、5本の細い脚から構成されている。
橋脚と橋桁の接続部
部分的に木材が使われている。「木橋」ということだろうか。
下面影橋は、重量制限4トン、長さ26.5メートル(秋田建設工業新聞より)。
面影橋のほうは、14トン、31.36メートル。
東詰上流側から。東側の道を下流へ進むとJAビルとケーズデンキの間に出る
個人的には、前から存在と名前は漠然と知っていた橋であったが、改めて見ると、命名、立地、構造の3点で少々変わっている「もう1つの面影橋」であった。
【25日追記】上記の通り、旧国道の面影橋の上流側の隣の橋は「やばせ橋」。「八橋橋」だと文字の見た目がおかしいから、あえてひらがな書きにしたのだろう。「上面影橋」でも良かったかも?!
※この記事後半の通り、下面影橋は1970(昭和45)年竣工の木橋。架け替えの必要性が指摘されているが、2015年度に補修が行われる予定。
【2020年3月31日追記】2020年3月31日付の秋田魁新報 秋田市地域面に「秋田市八橋「しもおもかげ橋」 実は木材が支えてます」という記事が掲載。大した話題でもなく、唐突で、新型コロナウイルス流行でネタ切れした埋め合わせかなと勘ぐったり…
橋の下から撮影した、木造であることが分かる写真が掲載。「太さ25センチほどの木が6本渡され」「天気がいい日はほんのりと木の香りがする」。
秋田市道路維持課の話として「長さ26.5メートル、幅4.8メートル」「現地の看板は「下面影橋」だが、台帳上は平仮名」「なぜここに木の橋が架けられたのかは不明」「市が管理する約720の橋のうち木の橋は6カ所」「2017年には木に防腐剤を塗る補修が行われ、現在のところ架け替えの予定はない」。
バス停もあるし、無名交差点が多い秋田では珍しく交差点の名称(橋の東詰)にもなっており、規模のわりには知名度の高い橋であろう。
現在は、200メートル強上流に幅が広い「やばせ橋」が開通してはいるが、それでもなお、面影橋を通行する車は少なくない。
上流側から。左の対岸が面影橋交差点
橋はカーブしており、西側から進むと面影橋交差点の信号が見づらいため、対岸の西詰側に予告信号が設置されている。今は予告灯もフラット型に更新されていた。
「おもかげはし」
橋の銘板の仮名表記では「~ばし」ではなく濁らない「~はし」とするのが一般的。
さて、面影橋という、なんとなくいわくありげな名前には、伝説というか言い伝えがある。
江戸時代、この近くに久保田藩の処刑場があった。そこへ連れて行かれる罪人が、この橋の上で、川面に映る最期の自分の姿(面影)を眺めた。というもの。
少なくとも、現代の日本語における「面影」の意味とは少し違う気もしなくはないが、いちおう公式な言い伝え(?)になっているようだ。
この由来を聞いて、秋田以外の方は「おや?」と思われたかもしれない。
東京都新宿区(かな?)の神田川に「面影橋」という橋があり、その由来とまったく同じ話なのだ。※東京の面影橋の由来は他の説もあり。
都電荒川線に「面影橋」という停留所もあり、ネットで「面影橋」だけで検索すると東京の面影橋ばかりがヒットする。
秋田と東京でまったく同じ話があって、たまたま同じ名前の橋になったのか。それとも、たまたま処刑場の近くに橋があったから…とどちらかから話を持ってきて、後付けで名付けられた橋なのか。
【2023年11月3日追記・似たようなもので「泪橋/涙橋」というのも、東京のほか全国に存在する。】
ここから本題。
川がカーブし、大きな道路からは並木や家並みで隠れてよく見えないので知らない人が多いと思われるが、面影橋の下流160メートルほどの所にも、橋が架かっている。
この橋。奥に面影橋が少し見えている
この橋の名前は、
「下面影橋」
ガードレールを高欄代わりにしていて、そこに小さな銘板が付いていた。(面影橋もガードレールを使っているが、上の写真の通り、銘板は石に付いている)
ひらがなは「しもおもかげばし」と、珍しく「はし」ではなく濁っている。【24日追記】一般的には河川名称や竣工年月の銘板も設置されるが、ここにはないようだ。
下面影橋の由来は「面影橋の下流に架かる橋だから」ということだろうから、「面影橋ありき」の命名である。
駅とかバス停ではそういう命名方法があるけれど、橋の名前では他にあるだろうか。秋田市では旭川に「下新橋」があるが、対応する「上新橋」などは存在しないし。
旧道の「○○橋」に対して、バイパスに「新○○橋」があるケースはあるが、上とか下とか位置関係を明確にしたものはあまりないかもしれない。
下面影橋の西(北?)岸側は小さい山。周囲の建物は限られている。堤防の歩行者通路(コスモスロードの一部)はどの方向にも進めるが、車は西詰で下流方向へ左折しかできず、しかもその先で実質的に行き止まり。
したがって、西詰すぐにあるアパート、左折した所の秋田市農林部庁舎、行き止まりにある秋田市上下水道局八橋庁舎(昔の下水道部)・八橋下水道終末処理場へ用のある車しか渡らない橋ということになる。
【25日追記】農林部庁舎は「秋田市役所八橋別館」という名称だそう。毎年春には、東北森林管理局と合同で山火事防止パトロールの出発式が庁舎前で開催されており、今年は23日に開催。報道によれば森林パトロールカーなど多くの車が出発していったので、おそらく下面影橋を渡ったのだろう。
Googleマップより。青い線はストリートビュー
上の地図の赤い「×」が行き止まり地点。ストリートビューはそこで引き返している。
橋の上に2つの看板
橋の上のガードレールの外側というちょっと変わった位置に2つ看板が付いている。1つは終末処理場と農林部への案内。もう1つは、薄れているけど「通り抜け禁止」。
「通り抜け禁止」は下面影橋を渡るなという意味ではなく、渡った先、行き止まりの所で上下水道局敷地内に入り込んで国道7号線(臨海バイパス)へ通り抜けるのを禁止するという意味なんだろう。
なお、歩行者は堤防を歩いて臨海バイパスと行き来できる。
下面影橋は秋田市の2つの施設専用の橋のようにも思えるが、アパートがある以上、ごく普通の秋田市道の橋。下面影橋がなければ、アパートへ車で行くことは不可能。
渡った先が行き止まりで、利用者がごく限られた公道の橋というのも珍しい。
現代ではこの程度の川幅の橋ならば、橋脚がなく両岸の橋台だけで橋本体を支えるのが一般的。面影橋もそう。
しかし下面影橋は、3本の橋脚が川に立っている。1つ1つの橋脚は、5本の細い脚から構成されている。
橋脚と橋桁の接続部
部分的に木材が使われている。「木橋」ということだろうか。
下面影橋は、重量制限4トン、長さ26.5メートル(秋田建設工業新聞より)。
面影橋のほうは、14トン、31.36メートル。
東詰上流側から。東側の道を下流へ進むとJAビルとケーズデンキの間に出る
個人的には、前から存在と名前は漠然と知っていた橋であったが、改めて見ると、命名、立地、構造の3点で少々変わっている「もう1つの面影橋」であった。
【25日追記】上記の通り、旧国道の面影橋の上流側の隣の橋は「やばせ橋」。「八橋橋」だと文字の見た目がおかしいから、あえてひらがな書きにしたのだろう。「上面影橋」でも良かったかも?!
※この記事後半の通り、下面影橋は1970(昭和45)年竣工の木橋。架け替えの必要性が指摘されているが、2015年度に補修が行われる予定。
【2020年3月31日追記】2020年3月31日付の秋田魁新報 秋田市地域面に「秋田市八橋「しもおもかげ橋」 実は木材が支えてます」という記事が掲載。大した話題でもなく、唐突で、新型コロナウイルス流行でネタ切れした埋め合わせかなと勘ぐったり…
橋の下から撮影した、木造であることが分かる写真が掲載。「太さ25センチほどの木が6本渡され」「天気がいい日はほんのりと木の香りがする」。
秋田市道路維持課の話として「長さ26.5メートル、幅4.8メートル」「現地の看板は「下面影橋」だが、台帳上は平仮名」「なぜここに木の橋が架けられたのかは不明」「市が管理する約720の橋のうち木の橋は6カ所」「2017年には木に防腐剤を塗る補修が行われ、現在のところ架け替えの予定はない」。