広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ほくとライブラリー

2015-04-05 19:50:54 | 秋田のいろいろ
昨年9月から、秋田市としては初の「ネーミングライツ(命名権売却)」が、市教育委員会管轄の2つの体育施設を対象に実施されている。
「あきぎんスタジアム」はプロサッカーの試合場でもあり、それなりに定着しているように感じているが、「スペースプロジェクト・ドリームフィールド」はどうだろう。
秋田市では「命名権を導入する施設の拡大も検討したい」としていた通り、その第2弾が4月から実施されている。
対象となったのは、市教委管轄の市立図書館。

2月4日付河北新報によれば、2014年度の市民1人当たりの図書費は、仙台市が約143円なのに対し、秋田市は約44円で、東北地方の県庁所在地中最下位。
2013年度の入館者数(5館計)は、10年前の8万人減の61万504人だそうで、ネーミングライツで得た費用を本の購入に充てて、利用者増につなげたいようだ。
【6日追記】全国的には、図書館の運営を民間に委託する自治体が出てきていて、秋田県能代市でも今年度から指定管理者制度で民間企業が運営している。秋田市立図書館は市の直営。本件は、名称だけ民間が関わるということ。

秋田市立の図書館は5館ある。中央図書館明徳館、中央図書館明徳館河辺分館、土崎図書館、新屋図書館、雄和図書館。
平成の大合併前の旧河辺町、雄和町の図書館も市立に編入されているけれど、河辺は分館扱いなのか。
ネーミングライツは、5館共通で募集・命名されることになっていた。契約年数は3年以上、秋田市が希望する年額は60万円以上。

秋田市内2社から応募があり、最高額を付けた北都銀行がネーミングライツパートナーに決定。
2018年3月末までの3年契約で、年額108万円。
※スペースプロジェクト・ドリームフィールドは72万円、あきぎんスタジアムは325万円。

愛称は「ほくとライブラリー」。
中央図書館明徳館(と河辺分館)は「ほくとライブラリー明徳館」、土崎、新屋、雄和は「ほくとライブラリー○○図書館」となる。


スタジアムは秋田銀行だったから、北都銀行が出てきたのは想定内。前回も名乗りを上げたけれど、負けたのかもしれない。
図書館は小学生も高齢者も利用するから、「ライブラリー」がやや分かりづらいかもしれないが、奇抜でなく無難に収まって良かったかな。
公共施設の名前を売って特定の企業の名を付けるのはいかがなものかとか、秋田市のものであることが分かりにくく北都銀行の図書館と誤解されそうとかいうのは、本件に限らず、どこのネーミングライツでも同じことだから、ここでは置いておきます。「どらやきドラマチックパーク米子」なんかよりはマシだと思うし…

前から折に触れ述べているように、中央図書館明徳館の近くに、後から秋田県が「県立明徳館高等学校」を開校し、まぎらわしくなったのに、さらに拍車がかからないか、少々不安。【6日追記】「明徳館」は旧・久保田藩の藩校の名称が由来。
ほくとライブラリー明徳館に関しては、どっちみち「明徳館」と呼ばれ続けることになりそうです。(高校との混同・誤解に注意)

それから、河辺分館には「せせらぎライブラリー」という愛称が以前からあったそうで、今年度も継続。
ということは、「ほくとライブラリー明徳館河辺分館」と「せせらぎライブラリー」の2つの愛称を持つことになる。


あとは、現地の表示板類がどう変わるか。
あきぎんスタジアムの時は、大々的に表示が付け替えられた。スペースプロジェクト・ドリームフィールドはそれに比べると簡素だが表示が設置された。
明徳館は「秋田市立中央図書館」が取れるから、少なくともその文字は撤去されるかと予想した。
(再掲)秋田市立中央図書館明徳館

3月までの正面の文字
1日に、明徳館で市長と頭取が出席して表示の除幕式が行われた。すると、
従来の文字の下に「ほくとライブラリー」の看板
左の本の絵は初見。【6日追記】本の線が独特。何か意味がありそうだけど、何でしょう?
「と」と「ラ」の間が北都銀行のロゴマーク、右が北都銀行のマスコット・秋田犬の「ほっくん」。
思っていたより簡素。

土崎図書館でも、正面ひさしにある既存の「秋田市立土崎図書館」の上に同じ看板が付けられた。
これでは「ほくとライブラリー 秋田市立土崎図書館」と読めてしまい、「ほくとライブラリー土崎図書館」という正式な愛称(?)が伝わらない。
左後方の金色のが既存の表示。後ろの十字架は隣にある教会
【6日追記】従来のままの図書館名表記と別に「ほくとライブラリー」の看板があると、図書館全体の愛称ではなく「図書館の中に『ほくとライブラリー』という組織のようなものが存在している」と受け取られるおそれもある。

あきぎんスタジアムと比べると、看板が少々安っぽいと感じた。

「秋田市教育委員会ネーミングライツ導入に関するガイドライン」を見ると、「敷地内外の看板等の表示変更」「契約期間終了後の原状回復」はパートナー側が「ネーミング・ライツ料の他に別途負担とする。」ことになっていた。
※「パンフレット、封筒等の印刷物の表示変更」は市負担。
あきぎんスタジアムはずいぶん立派な看板なのに比べて、スペースプロジェクト・ドリームフィールドやほくとライブラリーではずいぶん差があると思っていたけれど、看板は別途、各自負担ということを知れば納得。


北都銀行は、看板の変更費用を最小限に抑えたかったのか、上の土崎図書館の写真右手前の掲示板には、ほくと~の名はない。
明徳館でも、正面以外の表示板類は3月以前と変わっていない。(以下の写真は3月撮影)
電柱や標識が前にある植え込みの中の目立たない表示板

今回を機に替えたほうが良かったのでは? せめて洗ってやって!

手書きっぽい掲示板

図書館のホームページには、看板と同じデザインのタイトル画像などが表示され、「ほくとライブラリー」となっている。
秋田魁新報には愛称が「図書の貸出票などにも使われる」とあったけど、貸出票って何?【2021年3月19日追記・コメントで教えていただいた。借りた時発行されるレシート状のものとのこと】
個人の貸出カードや本に貼るシールは、既存のものを変えるのは非現実的だし、今後の新規分にしても契約年数以上使われるだろうから、ふさわしくなさそうだし。


秋田市立明徳小学校が移転し、その跡に開館したのが秋田市立中央図書館明徳館。(それ以前は土崎、新屋だけで中央部に市立図書館はなかった)
僕は、旧・明徳小の記憶はほとんどなく、図書館ができた時に学校で貸出カードが一斉配布されたのは覚えている。開館は1983年だから、もう30年以上前のこと。
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弘南バス・鉄道3題

2015-04-02 23:19:29 | 津軽のいろいろ
弘南バスと弘南鉄道の話題。※両社は起源は同じですが、現在は資本関係はなく、つながりが薄れています。

●弘南バス春ダイヤ
雪国では、路線バスのダイヤが、冬期間だけ別になる(冬ダイヤ)ことがある。
スキー場行きとか、冬季閉鎖道路があるからとかいう事情もなくはないが、街中の路線でも冬ダイヤになる。
積雪と自家用車利用者増加で道路が渋滞してバスが遅延しやすいこと、バス利用者が増えて混雑することなどに対応するものだと思われる。
ただ、最近は、道路事情が改善されたり、バス利用者が減少したりで、大きな影響はなく、時刻表変更も手間だから冬ダイヤを実施しないところも多いのかもしれない。

かつての秋田市営バスも冬ダイヤを実施していたが、末期には廃止して通年のダイヤになっていた。
手もとに保存してある時刻表によれば、1998年11月1日に改正されたのが最後で、以降は春のみの改正だった。
なお、秋田市営バスの冬ダイヤ開始日は12月中旬以降が多かったが年によってまちまちで、上記の通り1998年は11月にやっている。


青森の弘南バスは、今も冬ダイヤを実施している。毎年、12月1日から3月31日までで固定されているようだ。
やはり弘前は雪が多く、冬ダイヤの意味があるということなのだろうか。
2015年4月1日の弘前エリア分の改正点を、ホームページの告知(乗り場にも同じものが掲示されているはず)から見てみる。

まずは、土手町循環バスの最終運行時間帯(夏18時・冬17時)、冬期運休のりんご公園方面の「ためのぶ号」など、毎年恒例のものがある。十二湖線は4月15日、「暗門号」は6月1日運行開始と、まだ冬の眠りに就いている路線も。

そして弘前市内の一般路線では、9路線22本が変更。(それ以外にも変更になるものがあるとの注記もある)
5~10分の時刻の移動、日祝運休便の振り替え(本数は平日・土日とも改正前と同じ)が中心で、規模は大きくない。

いちばん変化が多く、減便も含むのが小栗山線。
下り(弘前駅前発)3本、上り(弘前営業所発)2本が、新たに日祝運休となる。
【2016年3月27日訂正】これは毎年繰り返されている定例の変更のようだ。つまり、「同じ時刻の便が、冬は毎日運行・夏は平日のみ運行」と切り替わっているもの。
さらに、今回の告知には出ていないが、冬ダイヤ開始時の告知において、小栗山線だけで「冬期運行」と注記が付いた便があった。7時台から17時台にかけてまんべんなく下り8本、上り5本設定されていた。
はなから冬季限定の増便として設定するもののようで、4月以降の時刻表には出ていない。

それでもなお、小栗山線は毎時4本は運行されており、途中まで同経路の学園町線もあるので、今どきの地方都市としては利用しやすい路線と言うべきだろう。
沿線に大学と高校に住宅地もあることに加え、車庫に出入りする運用も兼ねているためなんだろう。(秋田市で言う、北営業所があった頃の飯島線、南営業所があった頃の新屋線のような存在)

ほかに、三世寺線では、弘前バスターミナル発20時台が日祝運休から毎日運行に変更。
三世寺線はなじみのない路線だが、バスターミナル-浜の町-三世寺-板柳-笹舘(時刻表では「館」)という経路で、弘前市内の北西方面、鶴田町近くまで1時間以上かけて走る路線。
でも、18時45分発が最終で、20時台発の便は時刻表には載っていないような…???


告知では、ためのぶ号などと同じく毎年恒例の季節運休・運行される路線が、弘前市内の一般路線で(路線名だけ)複数掲載されている。
冬の間だけ運行していたのが次の6系統。
兼平~聖愛高校、城東~聖愛高校、船沢~聖愛高校、宮園~聖愛高校、藤代~浜の町~南高校、城東~藤代
いずれも平日(土曜含む)のみ朝7時台に始発点を発ち、片方向・1便のみの運行。(正確には「~」でなく「→」ということ)
弘前市周辺部の各地域から、市内中央部の各高校への通学(と通勤や通院)需要に応える路線だと思われる。
時刻表では、船沢~聖愛高校はバスターミナル発の時刻表に混ざって掲載されているが、他の路線は専用の欄を作って掲載されている。


反対に冬は運休していて4月から運行再開されたのが、堂ヶ沢~小栗山。
これも平日朝に堂ヶ沢発が1本だけ。
ただし、冬の間と夏の日祝は、同じ時刻で弘前駅行きとして運行する。

ルートとしては、冬のみ運行の「船沢~聖愛高校」や後述の鰺ヶ沢発聖愛高校行きと一部重複するはず。
冬期路線の代替として、石渡・浜の町方面からの通学などの利用を想定しているのだろうか。



交通網が発達しづらい地方都市において、バス路線網は市内各地から中心駅への一極集中となることが多い。そのため、市の中心部を越えた2地点を直接結ぶバス路線は成立しづらく、中心駅を介さずに行き来することは難しい場合が多い。そういう需要そのものが少ないのだろうが、通学、通院、役所への手続き等で皆無ではないはず。

弘前市もそうではあるものの、駅・バスターミナルを通らずに2点を結ぶ路線は、上記の季節運行以外に通年運行しているものが、それなりにある。
相馬など各方面から聖愛高校へ向かう路線が通年で平日朝に設定されている。となると、季節限定路線との違いは何か?
聖愛高校へ乗り入れる路線は朝の到着便以外なく、平日朝だけの降車専用バス停ということになる。(通常は小栗山線の実業高校前が最寄り)
中には、鰺ヶ沢を5時50分に出発し、浜の町経由で聖愛高校に7時30分に着くというロングラン路線もある。
【4日補足】聖愛高校行きが多いけれど、乗客みんなが聖愛高校まで乗るわけではなく、近くにある実業高校や附属小中学校への利用も見込んで、終点位置として設定したのだろう。
同じくバスが昼は乗り入れない、東奥義塾高校にも、桜ヶ丘発枡形経由の路線がある。

ほかに、「浜の町~安原団地」線は、1日4往復(平日)ではあるが、朝だけでなく昼間や夕方も運行されている。

弘前市が作成しているバス路線図「ひろさき公共交通マップ」では、こうした路線の存在はないことになっていて、聖愛高校や義塾高校はバス停があることすら記されていない。(そのほうが誤解を招かなくていいでしょう)


片道運行だと気になるのが帰りの足。帰りは各自ご自由にということでしょうか。
東奥義塾や聖愛からだと、JR(義塾)や弘南鉄道に乗ったほうが便利な場合もあるだろう。
バスを乗り継ぐと運賃はかかり増しになる。定期券なら通しの定期で乗り継げる?

あと、秋田市なら、市営バスから引き継いだ制度で「片道定期券」というのがあり、半額分の料金で片方向だけ利用できる。割引率の高い通学回数券(1000円で1300円分利用できる)もある。【2018年9月3日】ホームページなどでの告知はないが、弘南バスにも学生用の回数券は存在するらしい。13枚綴りを10枚分の値段で売るので、割引率は秋田と同じ。
弘南バスでは、そういう制度はないはずだから、経済的にも使いづらいかもしれない。
冬だけ運行というのもどうなんだろう。夏だって雨の日なんかもあるし。


なお、秋田市でも、各地から県庁市役所・商業高校、大学病院・ノースアジア大学方面などに秋田駅を通らない路線があるが、弘前よりは少ないかもしれない。ただし、行き帰りとも運行されるものが多く、すべて通年で運行されている(かつては季節運行路線もあった)。


●寅さんの弘南バス
映画・寅さんシリーズの1971年4月公開の第5作「男はつらいよ 奮闘篇」では、最後のほうで津軽地方が舞台となる。

津軽にいるであろう寅次郎から遺書めいたはがきが届き、妹のさくらは後を追う。
弘前駅で五能線に乗り換え、驫木駅で下車(キハ10系辺りと思われる車両や車内も時代を感じさせる【2017年5月13日追記】急行用のキハ58系らしき車両が混ざっているシーンもある)。以前知り合った人たちを訪ねるが、兄とは会えないまま、さくらは弘前行きの路線バスに乗る。
千畳敷海岸で行方不明者の捜索が行われているのを車窓から見て不安になるが、嶽温泉のバス停から陽気に乗り込んできたのが、兄・寅次郎で、再会を果たす。というストーリー。

その路線バスが弘南バス。
再掲)2011年の千畳敷バス停
【3日画像追加】↑映画のポールとはバランスや書体が違うが、表示板の配色は今も昔もほぼ同じ。嶽温泉は現在は別タイプ(赤と白の縦書)のポールに替わったようだが、映画ではこの配色だった
車両はボンネットではない箱型のバスだが、後部が丸っこい時代を感じさせるもの。
非常口が現在の後輪近くではなく、真ん中にあるのが特徴的。
乗降用ドアは、前と中央に「自動扉」と表示のある折り戸。【2017年5月13日追記】前と中央にドアがあるのが確認できるのは車内のシーン。車外からは反対面しか映らないので確認できない。車内の前ドアには「出口」という表示がある。嶽温泉で乗客が乗りこむのも前ドア。現在と同じように中ドアは使わず、前ドアで乗降とも扱っていたのかもしれないが、映画都合上そうした可能性もある。
女性の車掌が乗務していた。

塗装は、1990(平成2)年頃の導入車両までのものとよく似ていた。【5月17日追記】弘南バスとしての会社設立(弘南鉄道からの分社)50周年である1991年に塗装が新しくなったらしい。
(再掲)
上の写真の旧塗装は、側面の中央部に翼というかブーメランというか、そんな形状のオレンジ色のデザインが施されているが、映画の車両ではそれがない。
また、メインの地色は、上の写真ではややオレンジ色っぽい(赤みがある)が、映画の車はほぼ肌色。色あせたわけではなさそう。→弘南バスの旧塗装について

弘南バスの社番表記は車外に「3564-5」、車内「3564-(不明)」と確認できる。
現在はハイフンの前が5桁なので桁数が合わず、何を意味するのか分からない。ハイフンの後は今と同じく所属営業所を示しているとすれば、弘前市内の藤代営業所の所属だ。
※現在も「藤代営業所」と通称されるが、正確には弘前営業所の下部組織「藤代車庫」。1998年に再編されてこうなったそうだ。
【2019年6月29日追記】ホームページ「80s岩手県のバス“その頃”」で、以前の弘南バスの付番法則が分かった(http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/konan/index.html)。
1984年に変更されたそうで、年式の部分が「和暦2桁」でなく「西暦下1桁」だったそうだ。ほかに最初のメーカー番号が、大型とそれ以外で細分化されていた。所属営業所などそれ以外は現行と同じ。
したがって、「3564-5」は三菱製・1965(昭和40)年製造・藤代営業所所属となる。(以上追記)

さくらさんが乗った弘南バスは、千畳敷→嶽温泉→弘前というルート。
上記の通り現在も、千畳敷の近くの鰺ヶ沢から弘前市内への路線バスは運行されている。岩木山の東側のふもとのルートで、嶽温泉は通らない。

嶽温泉経由だと、方向は違わないけれどわざわざ山を上って下りることになり、そんな路線はあり得ないと感じた。
しかし、Wikipediaによればかつては嶽温泉経由で弘前-鰺ヶ沢を結ぶ路線があったそうだ。岩木山の西側ルート。
1956年に運行開始、1959年には「深浦定期観光バス」だったそうで、1960年代後半には廃止されたとなっている。
映画が公開された1971年時点で既に廃止されていた可能性があるし、鰺ヶ沢より先の千畳敷までは行かなかったようだが、映画の設定もあながちウソではないのだった。
昨今のドラマでは、角館からいともたやすく男鹿半島へ行ったり、弘前が舞台と言いながら浅虫温泉に泊まったり、地理を知る人からすればおかしいこともあるが、さすが山田監督。
(再掲)現在の枯木平行き。弘前営業所担当か
現在は、弘前側が嶽温泉・枯木平まで、鰺ヶ沢側は松代(まつだい)という集落までそれぞれ路線がある。(松代-枯木平で分断されている)


●弘南鉄道の社章
(再掲)
弘南鉄道では円形の「社章」があり、5年ほど前までは、電車の側面に表示されていた。
車両によっては赤色で描かれたものもあり、ラーメン丼の模様のように見えたものだ。

現在、車両には社章に代わって新しいロゴマークが表示されているが、社章は廃止されてはいないようだ。
弘南鉄道ホームページ(http://konantetsudo.jp/comp.html)に、その由来が出ていた。
「開業当初の路線は弘前~津軽尾上間で、全長距離が7マイルであったことから「弘南」の文字を7つの「エ」でかこんだ。」とのこと。

なんで「エ」なのかが分からないが、レールの断面?
国鉄時代、1965年頃まで就航していた青函連絡船(洞爺丸と同型)では、煙突に「工」のマークが付いていたそうだが、それは明治時代の「工部省」から来ているらしい。

ちなみに、弘前-津軽尾上は11.1キロ=約6.9マイル。
現在の弘南鉄道は、弘南線と大鰐線合わせて30.7キロ=約19.1マイル。「エ」が19個ではちょっとうるさいかも。
星条旗の横線の数が、独立時の州の数である13のままなのと、同じようなものと考えればいいのでしょう。

ちゃんと理由付けがあってそれを明らかにしているのは、納得できるし親しみがわく。
じゃあ、秋田の某社の社章は?
コメント (2)
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