広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

続・平成最初の思い出

2019-04-17 22:34:21 | 昔のこと
本題の前に。令和決定から半月。そして改元まであと半月。
業界によっては大忙しかもしれないけれど、世間一般ではとりあえずは落ち着いたかな。Google IMEは、まだ「令和」と変換できない。
平成が終わるという実感は、ないようなあるような、中途半端な気持ち。
「平成」まんじゅう?
「平成 ありがとう」の焼き印が押されているようだが、読みづらい。
上のまんじゅうは、青森県の工藤パンが3月から発売中の「ありがとう平成酒まんじゅう」。白と紅があるが、中はどちらもこしあん。
秋田県内のスーパーでも、1個130円くらいで売っていることがある。※詳細はこちら

前回の記事で触れた、令和発表時の官房長官の額の持ちかたのせいでわずかにフライングしてしまったこと、「令」の書きかたについては、マスコミやネットでもそれなりに取り上げられた。
最初に音だけを伝えた時、手話通訳(ここでは指文字ということか)が誤って「めいわ」としてしまったことも分かった。事前に知らされてなかったからやむを得ない。菅官房長官にしては、かなりはっきりと言えていたと思うけど。

個人的には、手話通訳よりも、返す返すも残念なのが「令」の書きかた。
令和発表後、各地の書道イベントや人文字等々で、「令和」を書くことが行われた。そのうち、おそらく少なくとも過半数の人が「卩」としていた。小学生でも、ゾウとかアシカの芸でも。
文化庁では「マ」でも「卩」でも正しいという見解だそうだが、それは文化庁。
(文化庁も文科省の外局だけど)文部科学省管轄の学校教育の現場では、これまで手書きの楷書では「マ」が原則で、それが定着していたのに。
実質的に発表時の額の文字の、「卩」の「令和」の“お手本”になってしまっている。「卩」にするよう強制するような事態には今後もならないだろうけど、混乱や誤解を呼ぶ。「マ」で発表してくれていれば、こんなことにならないのに。


ところで、あの額にはガラスが入っていないそうだ。
フジテレビによれば、実は「平成」の時も同様。ガラスがあると反射して撮影に困るという、報道関係者の意見を、政府担当者が事前に聞いていたとのことで、今回も踏襲。


「令和」を提案した学者が誰なのかは、すぐには(数十年は)明らかにされないと思っていた。平成の時がそうだったように。
しかし、発表の翌日だか数日後には、各マスコミが提案した人を報道。本人は否定しながらも、実質的にその人で決まりのようだ。
さらに、最後まで残った、残り5つの元号案まで明らかになった。
情報公開といえばそうだけど、元号へのリスペクトみたいなのはいいの? と思わずにはいられない。

あと、政治的意図がどうこうとかいうのも、なくはないと思うけど、考え過ぎのような気もする。(上記と矛盾するけれど)たかが漢字2文字、西暦だってあるのだから、素直に受け取ればいいのでは。


海外の反応も意外だった。
オーストラリアに「REIWA」と書いて「リーワ」と読む不動産団体があり、そのサイトに日本からのアクセスが急増。REIWA側も好意的な反応を寄せてくれたそうだけど、元号の仕組み自体知らなかっただろうから、驚いたことでしょう。
イタリアでは、元号決定の過程が、ローマ法王を決める会議「コンクラーベ」と通じるものがあるとして伝えたそうだ。言われてみればそうかも。
チベット語で「希望」を意味する語と音が似ているという話もあった。
外国のみなさんも、思ったよりも元号に理解を示してくれているようだ。


各所での元号予想では、愛知の居酒屋のキャンペーンで的中させた人が1人いたらしい。
秋田魁新報くらし面の投稿欄「えんぴつ四季」には、投稿者が(正月に帰省した?)孫たちと元号予想したところ、中学生だか高校生の孫が「“玲”和」を示したとの話もあった。

既に名称に「令和」を入れた企業が31社登場したとか、青森県では、統合で2020年開校予定の県立高校の名称候補が「黒石高校」と「令和黒石高校」になった(6月決定予定)という話も。今後、いろいろな令和なんとかが登場することだろう。
【6月6日追記】青森は結局「黒石高校」に決定。一方で、秋田市の私立の秋田和洋女子高校が、2020年度から移転・共学化の上「秋田令和高等学校」となることが発表された。秋田では県立平成高校もあり、2つの元号の高校がそろう。また、東京都では2020年度に中野区立の2小学校が統合して「令和小学校」ができる。

続きはこちら



ここから本題。途中だった、平成が始まった1989年1月の続き。
秋田の学校の冬休みは長い。
現在の秋田市立学校は2学期(前後期)制だが、当時は3学期制であり、夏の暑さがさほど厳しくなかったこともあり、今よりもさらに冬休みは長かった。

1989年は成人の日(当時は15日で固定)が日曜、16日が振替休日。17日・火曜日が最初の登校日=3学期始業式。※日付や曜日は忘れていたけど、当時の資料で確認しました。
昭和天皇崩御・平成改元後、1週間の「歌舞音曲の自粛」も終わって、ほぼ普通の暮らしになっていたのではないだろうか。記憶はないけれど。
秋田市は引き続き雪が少なく、少し降った程度でほとんど積もっていなかったようだ。気温は朝はマイナスにはなっていた。記憶はないけれど。

登校後、教室で学級担任の先生が「間もなく卒業するあなたたちは、『昭和最後の小学生』であるとともに、『平成最初の中学生』でもある」ということを話されたのを覚えている。そう言われると、自覚というか記念すべき巡り合わせだという感慨がこみ上げた。
体育館での始業式では、校長先生が、年明けの一連の出来事について、何らかの話をされたのは確かだが、内容は記憶していない。全員で黙祷みたいなのはしなかったはず。寒いから手短に済ませたかも??
教頭先生による開式・閉式の言葉で、「昭和63年度3学期始業式」と言ったことに対し、「平成じゃないの?」と疑問を示したクラスメイトがいたはず。前回の通り「平成元年度」は存在しなかった。(「令和元年度」は存在するらしいのが、いまだによく分からない。)

その後、3学期の学校生活も、卒業式も、崩御・改元の影響は特になかったのではないだろうか。「平成最初の○○」で何かやるということもなかったはず。卒業に向けて、いろいろなことに追われていたのかもしれない。
家庭科の調理実習でサンドイッチを作って、その時に生まれて初めてブルーベリージャムなるものを食べて、おいしさに感動したのがこの時期。それまではイチゴジャムとマーマレードしか知らなかった。

冬休み明けから学年末・卒業まで(=当時の3学期)は短い。
土曜日も学校があった当時、3学期に学校に来る日は50日と少し(52日とか54日とか?)しかないと、誰かが話していた。卒業する6年生はさらに短い。
そんな中、突如、休校日ができた。2月24日・金曜日。
昭和天皇の葬儀に当たる「大喪の礼(たいそうのれい)」が執り行われ、全国的に学校や仕事が休日になったのだった。
学校が休みになるのはうれしかったが、残り少ない小学校生活が減って少し惜しい気持ちもあった。当日は、テレビで厳かな儀式のようなものを見た記憶が少し。

あとは、恩赦や特赦というものを初めて知って、ヘンな制度があるんだなと思った。
今上天皇の「即位の礼」で、学校がまた休みになって、テレビで儀式を見た記憶もある。ただ、それは1990(平成2)年11月12日の「即位礼正殿の儀」と1年以上後。(この日は月曜日だったので、連休になったようだが、その記憶はない。)

昭和天皇崩御、平成への改元に関する、直接的・具体的な思い出はこんなところ。
同時期には、消費税導入とアメリカ大統領選挙・ブッシュ(父)就任という、大きな出来事があった。
100円のお菓子が103円(最初は税率3%)になる、レーガンさんしか知らなかったアメリカ大統領が代わると、出来事そのものは当時も意識していていた。でも、それが昭和天皇崩御・改元と同じ頃だったという結びつけた記憶は、あまりないのが不思議。
卒業・中学校入学と、自分自身の環境が大きく変わったことで手一杯だったのか。



その後の「平成」について。最初は違和感が大きかった「平成」も、すぐになじんでいった。
個人的には「成」の書き順を間違っていた(1画目で横棒を書いてしまっていた)ことに、平成になったおかげで気がついた。

当時、ワープロ専用機では平成を変換できず「平静」しか出てこなかったことを前回触れた。僕はそれまで「平静」という言葉を知らなかった。大人の世界でも、それまではあまり使わない言葉だったのではないだろうか。
しかし、平成に入ると、平静という言葉の使用頻度が上がったように感じられた。例えば、平成3年の湾岸戦争の現地レポートで「現在の街は平静を保っています」とか。
平成に便乗して「平静」のほうも知られるようになったかもしれない。

便乗といえば、上記の「令和」を入れた企業や学校名のような、元号を借用したものが、平成の時もあった。今は忘れ去られたか記憶だけに残ってしまっているものもあれば、定着しているものある。
改元3か月後の千秋公園の花見の屋台に「平成焼」なるものがあった(詳細不明)。
平成6年には、秋田県横手市(当時は平鹿町)に「県立平成高校」が統合により開校。
平鹿と平成の関係性が薄いと当時思ったし、今思えば平成になって6年も経ってからで遅い気もするが、全国で「平成」が付く小中学校や大学は多くあるものの、高校は、埼玉県の私立高校とここしかないようで、個性的ではあったかもしれない。

平成を名乗る作品やグループもいくつかあった。めぼしいものを挙げる。
・「平成天才バカボン」平成2年 フジテレビ(「天才バカボン」3度目のアニメ化。主題歌は嘉門達夫)
・「たけし・逸見の平成教育委員会」平成3年 フジテレビ
・「平成イヌ物語バウ」平成5年 テレビ朝日(漫画「バウ」のアニメ化)
・「平成狸合戦ぽんぽこ」平成6年 スタジオジブリ・高畑勲監督のアニメ映画

・「平成ノブシコブシ」平成12(2000)年結成の2人組芸人。有名になったのは2006年頃。
改元を控えて、メンバーの破天荒な吉村氏の発言によれば、平成になっても「昭和のいるこいる」であるように、自分たちもそのままでいくことにしたとのこと。言われてみればそうだ。【18日補足】平成ノブシコブシは、タカアンドトシが名付け親。昭和のいるこいるをヒントにしたとも言われているそうだ。
・「Hey! Say! JUMP」平成19(2007)年結成のジャニーズグループ。「メンバー全員が平成生まれ」という意味もあるそうだ。

平成改元時には、岐阜県に「平成」と書いて「へなり」と読む地名が、偶然存在した(調査しきれなかったようだ)のが唯一だったが、その後、新たに元号にちなんで「へいせい」と読む地名が、各地に複数登場。
企業もいくつもできたが、明治製菓、大正製薬みたいな超有名企業は、今のところなし。
・「平成」駅 平成4年開業。熊本市のJR九州豊肥本線。前年に命名された町名が由来。
・「平成筑豊鉄道」 平成元年4月設立、10月開業。福岡県の第3セクター。
もともと1989年1月7日が社名発表日で、公募の中から選ばれることになっていたのが、急きょ、新元号を使うことにしたそうだ。


最後に、文字を画像データでご覧いただこう。文面でなく書体(フォント)に注目。
上は明朝体、下はゴシック体
どちらの書体も、特にひらがなが、特徴的なデザイン。(意識せずに)日常で目にする機会も少なくないはず。
これが「平成明朝体」と「平成角ゴシック体」(画像はアドビの平成明朝W3と平成角ゴシックW5)。総称が「平成書体」。

平成の初めに、NECのワープロ専用機「文豪」のテレビCMで存在を知ったが、名前だけの認識。平成10年前後にパソコンが普及すると、MacintoshのOSや年賀状ソフト類にバンドルされたり、比較的安価で市販されたりして、ぐっと身近になった。
でも、複数のメーカーから平成書体が出ているようで、他のフォントとは扱いが違いそうで不思議だった。
調べてみると、その誕生やデザインには、昭和末から平成初期のコンピューターの発展と関わる、独特の経緯があるのだった。後日改めて。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする