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戦乱時の黒幕1「平将門」「道鏡」

2024年01月26日 | 歴史
🌸平将門(平安時代)ー新しい天皇になろうとした

『要旨』
 ☆将門、身内を殺し家を焼き払う等の争いで関東地方を支配した
 ☆将門、壮絶な最後ののち怨霊になる





 戦乱時の黒幕「平将門」
「日本史の黒幕」記事より画像引用

将門、身内を殺し家を焼き払う等の争いで関東地方を支配した
 ☆将門、罪人の首を見せしめに晒し者にする獄門刑
 *日本で最初にこの刑に処された人物は、武将の平将門
 ☆将門は、朝廷に反乱を起こし「新皇」名乗って独立王国を築こうとした
 *国家反逆罪を犯した極悪人として死んでいった
 ☆京の都で藤原氏が栄華を極めていた平安時代
 *将門は、茨城県南部で生まれた
 *将門は、親族同士の土地争いで戦いの渦に巻き込まれていく
 *争いの果てに、自分の伯父を殺害し、その館を焼き払う
 *彼は京の都から派遣されてきた役人である国司と対立
 *常陸国の役所を焼き払って国を奪ってしまった
 *勢いづいた彼を止められる者はいなかった
 *将門は常陸、下野、上野、武蔵といった周辺の国々を制圧た
 ☆広大な関東地方一帯を支配下に収めた将門
 *彼の名前が京の都にまで知れ渡るのに時間はかからなかった.

将門壮絶な最後ののち怨霊になる
 ☆関東の覇者となった将門
 *京の帝に対抗し、新しい帝である「新皇」の座に就いたことを宣言した
 *将門は、平安時代の最初の帝である桓武天皇の末裔だった
 ☆将門は、朝敵と見なされた
 *朝廷は将門を倒すべく、藤原秀郷、平貞盛を関東に送り込む
 *将門軍との間で壮絶な戦いが繰り広げられた
 *将門は弓矢で眉間を射抜かれ馬上で絶命した
 ☆将門の首は京の都に運ばれて、大罪人として晒し首になった
 *この首が、夜な夜な笑い声を上げたり
 *切り離された胴体を求めて大声で叫んだりして
 *目を見開いて故郷関東平野をめざして飛んでいったというのだ
 ☆東京都千代田区にある将門の首塚
 *将門の首が飛んできて、力尽きて落ちた場所と言われている
 *首塚を移転しようとすると、必ず作業中に事故が起きた
 *その為、現在もも移転されることはなく首塚は存在している

🌸女性天皇を利用した道鏡(奈良時代)

『要旨』
 ☆道鏡、正体不明の謎の憎
 *孝謙天皇は道鏡を師と慕うようになり、常に自分のかたわらに置いた
 ☆道鏡、藤原仲麻呂を殺して朝廷に入り込み権力を握る
 ☆道鏡、ニセの神託を使って天皇になろうとする
 ☆天皇家の血筋ではない道鏡は、排除しろの神託を清麻呂は持ち帰る



 戦乱時の黒幕「道鏡」
「日本史の黒幕」記事より画像引用

道鏡、正体不明の謎の憎
 ☆奈良時代に突如として現れた怪僧、道鏡
 *彼は朝廷を牛耳るほどの強大な権力を手に入れる
 *みずから皇位に就こうと画策したほどの野心家だった
 *彼は宮廷内で仏事を行い、皇族など高貴な人々を治療していた
 *彼は、病気を癒す祈祷ばかりか、医術や業の知識、密教に精通していた
 *こうした能力が道鏡を時代の表舞台に押し上げる
 ☆重い病の孝謙上皇を秘術を使って治したことから始まった
 *孝謙天皇は道鏡を師と慕うようになり、常に自分のかたわらに置いた

⛳道鏡、実力者を殺して朝廷に入り込む
 ☆道鏡は孝謙上皇に取り立てられて重職に就く
 *道鏡は、上皇のお墨付きを得たことで野心に火がついた
 *道鏡は夫も子供もいない独り身の上皇にさらに取り入って
 *出世の階段を駆け上がっていった
 ☆当時の朝廷で実権を握っていた藤原仲麻呂
 *道鏡の”排除”を狙い、仲麻呂は武力蜂起した
 *宮中から多くの味方を得ていた道鏡の敵ではなかった
 *仲麻呂は上皇側に敗れ去り、家族ともども斬首された
 ☆邪魔者を葬り去った道鏡
 *大政大臣禅師、法皇と相次いで大役に任命された
 *政務いつさいを取り仕切ることになった
 ☆絶大な権力を手に入れた道鏡、各地に国分寺の建立を進める等
 *仏教重視の政策を進め貴族の反発を招く

道鏡、ニセの神託を使って天皇になろうとする
 ☆九州の宇佐八幡宮から、称徳天皇の後継者として
 *道鏡を帝位に就かせる旨の神託の知らせが朝廷に入った
 ☆称徳天皇が道鏡の操り人形のようになっていたことを考えると
 *道鏡側の人間が結託し、この神託のお膳立てをしたのは間違いない
 *道鏡の弟弓削浄人が、当時の九州地方のトップの座に就いていた
 *弟を昇進させたのは道鏡本人だった
 ☆宇佐八幡宮に派遣された和気清麻呂よりに阻止される
 *天皇家の血筋ではない道鏡は、排除しろの神託を清麻呂は持ち帰る
 ☆失意の称徳天皇が病に倒れて崩御する
 *後ろ盾を失った道鏡は途端に力を失う
 *道教の政治生命を絶たれてしまった

 *都を追われた道鏡は、栃木県下野葉師寺で晩年を過ごす
 ☆称徳天皇には近い血筋の後継者がいなかった
 *天武天皇の直系の皇位継承は、途絶た
 *天智天皇の孫である光仁天皇が即位した
                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』

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