慶喜

心意気
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「入鹿の首塚」「乙巳の変」

2024年01月27日 | 歴史
🌸蘇我入鹿(飛鳥時代)帝の目の前で殺された

『要旨』
 ☆蘇我入鹿は宮中、帝の御前で斬り殺された
 *中大兄皇子と中臣鎌足らにより
 ☆蘇我入鹿は、自分を「みかど」と呼ばせた
 ☆蘇我入鹿、聖徳太子の子を殺す
 ☆乙巳の変後に始まった一連の政変で
 *日本は連合統治の形から、天皇中心の中央集権国家へ変わる



 「入鹿の首塚」「乙巳の変」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

前代未聞の宮中でのクーデター
 ☆飛鳥寺の外れにあるひとつの石塔、石塔は首塚
 *クーデターで殺された蘇我入鹿の首が飛んできた場所
 ☆政変は神聖な儀式の最中に起こった
 *入鹿は宮中、帝の御前で斬り殺された

入鹿は、自分を「みかど」と呼ばせた
 ☆6世紀の終わり、日本に、帝中心の統一国家が樹立された
 *国家は、推古天皇・聖徳太子らが建立した
 ☆推古天皇・聖徳太子らが亡くなると
 *豪族蘇我蝦夷・入鹿の親子が力をつけ、朝廷の権力を掌握した
 ☆朝廷に君臨した2人は、帝を軽んじるような振る舞いをし始めた
 *人鹿は周囲の者に自分のことを「みかど」と呼ばせていた


蘇我入鹿、聖徳太子の子を殺す
 ☆蘇我入鹿は、聖徳太子の子供、山背大兄皇子を自殺に追い込んだ
 ☆次期帝候補で人々からも支持されていた山背大兄皇子
 *言いなりになる帝を立てようとしていた入鹿にとり、邪魔な存在
 *入鹿は、皇子の殺害に及んだ
 ☆聖徳太子が築いた斑鳩官で暮らす皇子に
 *入鹿の命を受けた兵が突然襲いかかる
 *皇子は、仏教に深く帰依していたため、武器を手にしなかった
 *周囲の住民に迷惑をかけまいと一族そろって自害した
 ☆殺害後、立場を悪くした蘇我氏は朝廷内で孤立していく
 *入鹿を倒すべく策を練っていた中大兄皇子と中臣鎌足
 *逆賊を成敗するという大義名分を得た彼らは行動に出た

入鹿は首をはねられ親は自害する
 ☆帝も出席する神聖な儀式の最中、物陰に潜んでいた中大兄皇子
 *刺客たちと共に突如として入鹿に斬りかかった
 *完全に不意をつかれた入鹿、血まみれになり死んでいく
 ☆息子の死を知った入鹿の父親
 *事故の翌日自宅に火を放ち自害し、蘇我親子は無念の最期を遂げた
 ☆乙巳の変で、政治の中心人物になった中大兄皇子
 *軽皇子を即位させて孝徳天皇とし、政治体制を一新した
 *孝徳太子が考え出した、天皇を中心とする律令国家
 ☆乙巳の変後に始まった一連の政変で
 *日本は連合統治の形から、天皇中心の中央集権国家へ変わる
                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』

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