麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

我らが人生の日々

2008年06月27日 | 鑑賞
 シューキン名称国立演劇学校『我らが人生の日々』
(原作/L.アンドレーエフ 芸術監督/M.P. セマコフ 演出/M.A.シュビトカヤ)が、昨日弊団アトリエで公演を行った。

 6月22日(日)にシアターΧで開幕して、都内各地を回ったツアーの千秋楽であった。
 主催は「ロシア文化フェスティバル日本組織委員会」で、シューキン名称国立演劇学校は文末に詳しい説明を付しますが、とにかく演劇王国・ロシアの名門校なのである。
東演とロシアの関係は深く、近いところでいえば04年に訪露し、ロシアの実力派劇団・ユーゴザパト劇場との合同公演を3都市(ニジニ・ノブゴロド-モスクワ-サンクト・ペテルブルグ)で上演。
 作品は『どん底』でした。
 また来年の50周年にも同作品を新たなキャストで創りあげ、国内各地を巡ります。
 振りかえれば・・・80年代に『桜の園』『ナターシャ』等を当時のソ連の代表的演出家・エーフロス氏と創出したことに始まり、90年代に鬼才・ベリャコービッチ氏との出会いに繋がります。
 『ロミオとジュリエット』『モリエール』、そして『どん底』が生まれたのです!

 そんなわけで、客席には20名近い劇団員の姿が・・・。
 残念ながら、僕は日本新劇製作者協会の機関誌の編集会議が入っており、1幕しか観られなかったのだけれど、若き娼婦を演じたオリガ役のアナスタシヤ・ベズボロドワは余りに可憐で、一方、その彼・コーリャ役のニーナ・シチェゴレワも序盤頼りなげだったが、その独特の存在感がだんだんクセになる俳優だった…。
 
 なので、他の劇団員にも聞いてみた。
 「さすがにスタニスラフスキー・システムをよく勉強していて、デッサンができていた。無駄な緊張がなく、行動的で、舞台の上で自由でいるというのは簡単なようで難しい」と。
 これは弊団創立メンバーでもある笹山の談。

 彼らは本日TDLに遊びに行って(そのあたりはやっぱ若者)、明日ロシアに帰るのだそうだ。
1914年10月23日シューキン名称演劇学校として
   エフゲーニー・ワフタンゴフが創立。
   以来、優れた演劇人を輩出。
   創設者が亡前、モスクワ芸術座に
   その劇団とスタジオを託したことで
   同芸術座の第三スタジオとなった(1920年)。
   その6年後ワフタンゴフ名称国立劇場の地位を得たが、
   同校出身の卓越した俳優・教育者である
   ボリス・シューキン名称となり、現在に至る。
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