麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

富士の裾野へ(後篇)

2014年05月10日 | 身辺雑記
昨日のブログの続き。
時は2014年5月8日(木)。

GWも終わり新東名はすいすい走れた。
とまるでハンドルを握ったようだが、
僕は完徹明けで爆睡していた(^^;
トラック運転手が本業のいとこがドライバー。
14人乗りのワゴン車に5世帯8人。

若い頃、少々やんちゃだった「まさ」も
今ではすっかり丸くなった。
性格はいいのだが体まで

もう時効だから書くが、未成年だった彼は、
既にプロ級のスロット打ちだった。

正月、我が家に親戚一堂が集まって、
長女(僕の母)、今回亡くなった次女、
三女(まさの母)が台所に立ち、
その夫達が昼から酒を飲んでいる中、
    
二人で散歩に出たことがあった。
「パチスロ楽しいよ、教えてあげるよ」
とまさから言われ、地元の遊技場に入った。
僕は成人していたから、絵としては、
僕が打ちに来たのに付いてきた親戚の子。

だが実際は、まさが先生で僕が生徒。
「今でしょ」の某塾講師よろしく
丁寧に一から教えてもらったのだが、
どうもギャンブルの類は「人生」以外
性に合わないよーで、秒殺の連続
結局隣で妙技を見るのに徹したのは、
四半世紀前……少なくともそれ位にはなる。

おばの納骨の話に戻そう。

彼女の夫、その母(90歳越えの長寿)、
一方若くして逝ったその連れ合いが、
先に眠る霊園は富士の裾野にあった。

彼岸桜が満開で、5月だというのに
涼しいというより肌寒いほど。
納骨してくれた職員さんに尋ねたら
「今日は暖かい方ですよ」。

裾野は晴れていたが、世界遺産となった霊峰は
重そうな雲に覆われて姿は見せず。

それはそれとして。

都会の墓地と違い、広大かつ景観の良い処。

数えきれない墓標一つひとつの、
あるいは一つの墓石に一つとは限らない命の、
物語の膨大さに圧倒された。

数といえば。行き帰りの車中。
運転するまさと助手席の僕の弟が、
車をタイミング良く売って利鞘を出すだの、
タイヤのホイールがどうの、
楽しく飽きもせず語りあっていたが、
僕にはまるでちんぷんかんぷんだった。

けれども世間一般でいえば、
それは至極日常的なのだ、きっと。
そうゆう会話に、岸田戯曲賞の行方とか
普通にセレクトされたらいいのに

かずといえば。伯母の名は和子だった。
コメント
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