麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

なります。

2014年05月11日 | 制作公演関連
成増、と聞いて某お笑いコンビの
ファーストアルバムがすぐ浮かぶのは
若くても四十歳にくらいに
「なります」か?

昨日、東武東上線池袋駅から
急行で一駅の、そんな成増へ。



隣に座った(まだ電車の中の話)
野球選手の上原似の若者が
ワンセグで何か見ながらずっ~と、
肩を揺らしながら笑ってて、
何だか素敵な一日になる予感に
見舞われましたが
下赤塚の手前で彼は鞄から
煎餅をだして食べはじめ、
もぅほとんど君んちじゃん状態に。
その後の半日が楽しくなるのが
予感から確信に変わりました。

そんな僕の携帯が鳴って

大学時代、劇研で看板女優として
四年間その座に君臨した後輩から
実に久しぶりに舞台に立つと。

彼女の代は彼女のほかにも
良い役者が多く、その四人
(女優二人と男優二人)の頭文字から
「1K3M」と呼ばれ、
「劇団白芸」を引っ張っていた。

その男優の一人と組んで
二人芝居を打つという。九月に。



成増をさらに下った朝霞台に
教養課程のキャンパスがあって。
その日は雨が降っていた。
駅から続くアスファルトの歩道を
傘をささずに歩いていたのは、
彗星のごとく現れた一年生の彼女。

当時僕は芝居は観る一方で、
劇研とも繋がりはなかったが、
クラスの内野力秀はメンバーで、
彼女が衝撃的なデビューを飾った
舞台も勿論観ていた。

三つあった演劇サークルの中、
「白芸」はテント芝居にこだわり、
観劇後はその場で客も交え酒を飲んだ。
その場で一言二言話したのだろう。
……おそらく。
でなければ、早足で追いついて
傘を差し出すことはなかったろう。
引っ込み思案のこの僕が。

あれから25年。
卒業後も仲間達と短い期間、
彼女は舞台には立ったが、
その後はラジオのDJや
大手企業のナレーション等
声を使う仕事は続けながらも
演劇からは遠ざかっている。
果たして板を踏むのは何年ぶりか。

すっかり成増と関係なくなったが。
降り立った駅の近くには

こんな家も建っていた。
どのくらい時間を要したら
蔦はこんなに「なります」か?
僕は知らないけれど。

時を経て彼女がどんな演技をするか
それは九月に知ることができる。

……お楽しみの確信はこれだったのか。
コメント (2)
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