麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ぬ企画最期の宴

2015年12月18日 | 制作公演関連
「ぬ企画」は今夏の「その11」で
23年間の活動にピリオドを打った。

番外公演も1本あり、単純に割れば
2年に1本ペースだったと言える。
が、道程は決して平坦ではなかった。

92年に旗揚げし、翌年の6月に「その1」、
8月に「その2」、さらに12月「その3」と
いきなりハイペースで作品を打ち出し、
94~98年は1本ずつコンスタントに公演。

つまりあのピッチで走り抜けば、
その25くらいは行っていた勘定だ。

高橋信吾、高橋真理子の二人で立ち上げた
「ぬ企画」に僕は旗揚げから制作で関わった。
つまりやたら「高橋」の多いユニットで、
初期の頃は半分冗談で高橋姓の
キャストスタッフを募集して
「高橋プロジェクト」を目論んでもいた。
閑話休題。

僕はあくまで外部制作として
けれどレギュラーであった。
先に真理子が抜けて、僕は97年に
某新劇の劇団にひょんなことから入団し、
「THEATRE-THEATER」を一度畳んで
とある下北沢の外れの専属になった。
「その6」の終わった直後のことだ。

「その7」は98年。確か信吾が
しはかたしなの名義を使いだしたのも
ここからではなかったかしら?

ここで大きくペースダウンして、
「その8」は4年後の2002年、
次作までまた4年の準備期間を要した。

鈍調は収まらない。な、な、なんと
「その9」の06年から6年の沈黙。

一方僕はといえば。
長らくお世話になった東演を2011年退団。
で、翌年に長い眠りから覚めた「ぬ」の
「その10」から戦列に復帰する。
そして今年のファイナルにも参戦。

だから。
全12演目中9本に制作で参加したわけだ。
出席率7割5分。

そんな「ぬ」の最期の宴が昨日開催された。

初期から関わった濃ゆいメンバー5人で、
「その3」以降の全10本を上演した劇場
「あくとれ」のある中野に集った。

野郎、しかも初老ともいえる面子で。
だが、なんたってあと一息で四半世紀
に迫る歴史の「ぬ」である。
遅れて来る者も2人あり、楽しい酒席になった。

地元に帰っただの、店を出して成功、
結婚して離婚して今は事実婚だの
……上演してきた演劇作品よりむしろ
濃い物語を知ることにもなった。

ただ一つ確かなのは「ぬ企画」は終止符。
けれども信吾は新たな創造拠点を
模索しているということ。

23年といえばストレートで大学を出た
社会人一年生の年齢だ。
信吾が次の領域に踏み出すということだ。

新しい企てにも勿論馳せ参じる所存だ。
あくまでこちらの腹づもりは、だが。
コメント
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