昨日、八幡製鉄所の歴史を書いた。
新日鉄住金まで書いて、芝居の話に戻り
「着地」したけれどかなり無理があったと自戒。
さて、新日本製鉄と住友金属の合併から6年半、
日本製鉄に社名変更。
1934年の大合併の名称に戻ったわけだけれど、
読みは「ニッポン」、昔は「にほん」。
そんな今はなき新日鉄。
八幡は昨日書いたように野球が強く、
釜石はラグビーの古豪、そして堺はバレー。
その新日鉄堺の歴史を継承するのが
「堺ブレイザーズ」。
国内最多タイトルを誇っている。
ライバルだったのが日本鋼管。
我が故郷・川崎を拠点にし、
森田淳吾、花輪晴彦、古川靖志、井上謙…etc
数多くのスターを生んだ。
1975~78シーズンの激戦は、燃えた
王者・新日鉄に準優勝、準優勝と後塵を拝し、
77-78年、ついに頂点に!!
略称がNKK。
今は川鉄と合併してJFEスチール(2003年)。
残念ながらバレー部は94年に歴史の幕をおろした。
重工業華やかな時代は過ぎたのだ。
写真は本文とは関連がありません。
強いていえば節分?
そうそう、豆まきは関係あるのかないのか、
呑んだあとの学生が路上に3人。
「正直がっかりだよ」「はい」
「だってさ、こっちはさ」「はい」
酔った先輩が後輩に軽いお説教。
そこから数メートル先では一人を囲み
介抱する集団もいて。
何年経っても、変わらない、こともある。
NKK。
本当は、昨日の八幡からの新日鉄を受け、
ライバル企業新日鉄VS日本鋼管、からの
私のNKK愛
を書く予定だったのだ。実は。
父の会社が川崎の鋼管通りにあっただとか、
土建屋で、日本鋼管の敷地内の道路工事もあって、
父の車で「あの」トンネルを突破して、
体育館で練習をずっと見ていた、とかを。