M男が、昭和20年代、30年代、幼少期を過ごした北陸の山村では、今では、とうてい考えられない、安心、安全、不用心、無警戒な暮らしをしていたものだと、つくづく思うことが有る。夏等には、どこの家も、玄関、茶の間、座敷、作納屋等、全ての引き戸は、余程の悪天候でない限り、朝から晩まで開けっ放しが、当たり前で、家族全員が、農作業等に出て留守にするような場合でも 滅多に、戸締まりして出ることもしなかった。元々地元の旧家で大きな家等は、その地方独特の造りで、玄関から奥に土間が長く続いていて、玄関からかなり入り込んでから、「おんなるかね?(だれか、いますか?)」等と、大声で叫ばない限り、奥の茶の間には通じないのが普通で、それでも 通じない場合は、構わずどんどん入り込んで、奥の茶の間の引き戸を開けて、「いいあんばいでござんす」(「こんにちは」の代わりに、いい天気ですねといった挨拶)等と、いきなり声を掛ける位は、お互い、何の問題無しだったのだ。
真夏になれば、昼間だけでなく、夜も開けっ放しで、平気な土地柄だった。そもそも、鍵というものが引き戸に付いていなかったし、せいぜい心張棒(しんばりぼう)で引き戸を押さえる位なもので、例え戸締りしても、泥棒への警戒とはならないレベル、開けっ放しでも、大して変わらないと言えばその通りだったが。それは、暑さ対策からであった。
その頃はまだ扇風機もまだ普及していなかった山村、涼を求めるとしたら、自然の風に頼るしか無く、団扇(うちわ)、扇子(せんす)は、夏の必需品で、手の届くところ、いたるところに置いて有ったものだ。問題は夜。周囲の田んぼや用水を渡ってくる夜風を、出来る限り、家の中に通して、冷やすしかなかった。家の向きによっては多少違うと思うが、M男の家は、西側と東側の引き戸を開けると、風が良く通ったと思う。現在のような網戸もまだ無く、開けっ放しでは、簾(すだれ)等吊るしていても、当然、蚊(か)や蛾(が)が入ってくるため、蚊取線香を点け、ハエトリリボンを吊るしてもいたが、座敷や茶の間に布団を広げる前には、大型の蚊帳(かや)を吊って、大人も子供も、その蚊帳に潜りこんで、寝たのだった。M男の家の蚊帳は何故か緑色していたが、蚊や蛾が入り込まないようにして、さっと潜り込んだ蚊帳の中は、子供達にとっては、開放的な別世界に入った感覚となり、毎夜、はしゃぐのが常、相撲をとったり、枕を投げ合ったり、勢い余って蚊帳を引き千切ってしまったりしたことも有り、大人たちに、よく叱られたものだ。
(ネットから拝借画像)
座敷に吊った蚊帳
(ネットから拝借画像) (ネットから拝借画像)
蚊取り線香 ハエトリリボン
当時、家の周辺には、街路灯一つなく、夜は、漆黒の闇となった。集落に自動車を保有していた家等は1軒も無く、1キロ以上離れた国道でさえ、夜間、自動車が通ることもほとんど無かった時代、一晩中、カエル、コウロギの大合唱と、山から流れ落ちる水の音が続くだけだった。
時々、遠く、北西方向、日本海に流れ込む河川の鉄橋を渡る夜行列車のガタゴト、ガタゴト、まれに汽笛が聞こえてくる・・・真夏は、そんな夜の繰り返しだったような気がする。
開け放していても、なお暑かった蚊帳の中で、M男達子供が、寝付くまで、毎夜、うつらうつらしながら、団扇で扇いでくれていた祖母を思い出してしまう。
「蚊帳の外」という言葉が有るが、「蚊帳の中」は、古き良き時代の家族の愛情あふれる空間だったように思う。
平成、令和、若い世代からは、「カヤ・・って、何?」と言われそうであるが・・・。
(ネットから拝借画像)
風鈴