図書館から借りていた 曽野綾子著 「年をとる楽しさ」(イーストプレス)を 読み終えました。
作家 曽野綾子が 多くの著書・随筆等で書き記した言葉の中から キラリと光る言葉が抜粋され ずらり掲載されている書です。

書の冒頭に掲載されている言葉。
「この頃 年をとった良さを しみじみ思う。まるで 短編小説のような人生の片々がたくさん記憶にあって、そのどれもが いぶし銀のように輝いているのである。(中略)・・・・・、時間の持つ味わいもわかるようになって、電車の待ち時間も 待ち人にすっぽかされても楽しくなりかけている。困ったことだ。」 (河出書房新社 「社長の顔がみたい」より)
そして 「まえがき」では、
「(中略)・・・・、老年の姿に、こうでなければ、という理想のスタイルブックはない。しかし できれば 後ろ姿に個性が滲み出たものがいいだろう。どんな後ろ姿でもいいのだ。背が曲がっていても、禿げでも 足を引きずっていても、リュックが古びていても・・・。しかし その後ろ姿に 歳月の重みが感じられ、絵になる人がすばらしい。しかし・・・・(再び しかしと言うが) 絵にならなくてもいい。私は 絵にならないような後ろ姿の人からでも 多くのものを習ったし、ほんの一瞬にせよ、宝石のように輝く会話を交わした記憶もあるのだから。」 (2008年初冬)
目次
「楽しく年をとる」
「さわやかに減らす」
「上手く失う」
「あらがわず消える」
「いきやすく生きる」
夫々の言葉に含蓄があり 老年の生き方、考え方として頷けるところ有りですが いくつかの言葉を ピックアップしてみました。
「老年は 一歩一歩 歩きながら味わうことのできる年なのである。その意味では 誰もが 芸術家である。老人になって 俳句や和歌を作り始める人が多いのは そのせいなのである」 (朝日新聞社 「晩年の美学を求めて」より)
「老年に ユーモアでいられたら 最高にすばらしい、と思う。ユーモアというものは 客観性と 創造力(想像力でもいい)と 寛容の精神なくしては 見られないものだから、これがある間は まだ幾つであっても立派に 「人間をやっている」のである。」 (新潮社 「狸の幸福」より)
「もはや、急ぎ足に 何かする時ではない。急ぐことは 老齢に何のいい結果ももたらさない。残り時間は少ないのだが、人生のレールは敷かれているのだから、ゆっくり、怠けず続けるだけで充分である。」 (祥伝社 「定本 戒老録」より)
「病気が恐ければ、もっとよく歩き、毎日の食事を うちで作ることに手を抜かず、アレルギーを防ぐためにも家の掃除をよくし、頭の体操を兼ねて 勉強し続けることなのだ。」 (光文社 「魂の自由人」より)
「若かろうと年取っていようと 死は必ずやってくる。その前に 自分が生きている間に得たものを始末していくことは 「帳尻を合わせる」ことである。」(朝日新聞社 「晩年の美学を求めて」より)
「私たちは、一定の年になったら、もう明日は生きていないかも知れないという予想のもとに、一日一日の始末をしておくべきなのでしょう。」(角川書店 「旅立ちの朝に」より)
「「分相応」を知るということは、生きて来た者の知恵の一つである。逆の言い方をすると、すべてしたいことをして生きて来た人など、一人もいないのだということを 体験的に知るのである」 (朝日新聞社 「晩年の美学を求めて」より)
「老年ばかりでなく、人間の一生が幸せかどうかを決められる最大のものは 感謝ができるかどうかだと思うことがある」 (海竜社 「心に迫るパウロの言葉」より)
「何歳で死のうと、人間は死の前に、二つのことを点検しているように思われてならない。一つは 自分がどれだけ深く人を愛し愛されたかということ。もう一つは どれだけ おもしろい体験をできたか、である。それが人並み以上に豊かであれば納得して、死にやすくなる。」 (朝日新聞社 「晩年の美学を求めて」より)
「妻に対して、あるいは 夫に対して、この人と結婚してよかったと思わせることは、多分 「ささやかな大事業」である。私は 社会的に大きな仕事をしながら、妻に憎まれて生涯を終えた人を少なからず知っているから、なおのことそう思うのかも知れない。たった一人の生涯の伴侶さえ幸福にできなくて、政治も事業も お笑い草だと私は思っている。」 (講談社 「至福の境地」より)
「私たちが生きている時間は、本当に短い。会う人も、会える時間も、それは得難いものだ。私たちは、まずさわやかに挨拶し、お互いに礼節と人情を尽くして、会っている時間を楽しくし、この世で会えたという偶然を、心の奥底で深く感謝すべきだろう。楽しく暮らすというのは 物質的ことばかりではない。出会いを楽しむことも含まれる。」 (小学館 「正義は胡乱」より)
「年貢の納め時、という言葉を私は好きだ。人にも物にも、すべて限度がある。しかし それは、自分で決定すべきで、それが自由人の選択である。他人に あなたはそろそろですよ、と言われることもない、しかし いつまでも しがみついていることもない。人間らしさと人間の尊厳は 生だけでなく、死についてもある。」 (小学館 ほくそ笑む人々」より