たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る山の思い出 その22 「蓼科山」

2017年10月04日 10時11分01秒 | 山歩記

バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった時代、当時は 撮った写真をその都度プリントして アルバムに貼っていたものでした。

かれこれ16年前の2001年7月に 妻、次男と三人で訪ねた蓼科山の写真が貼ってあるアルバムも有り 久し振りに引っ張り出してみました。

昔のことを懐かしがるのは老人の最も老人たるところだと 自嘲しながらも 当時を思い出しているところです。
ほとんど記憶曖昧になっていますが 写真やメモを見ると あの時、あの場所の情景までも蘇ってきます。
拙劣写真ばかりですが 紙焼き写真をスキャナーで 取り込んでみました。

早朝自宅を出発し 女神茶屋・蓼科山登山口には 6時30分頃到着したようです。20台程の駐車場は満車状態。少し戻った竜頭橋の駐車スペースに駐車しました。竜頭橋の駐車スペースは 7~9台駐車可能のところ 駐車中の車は まだ1台だけだったような気がします。
舗装道路を歩き 再び 女神茶屋・蓼科山登山口に戻り 出発です。

最初は緩やかな登り、ウグイスの鳴き声を聞きながら・・・。
次第に 急登に・・・、

   

高度を上げるに従い 展望が広がってきます。

急激に きつい急登になりますが 眼下に 蓼科高原、素晴らしい眺望です。

蓼科山山頂(標高 2,530.2m)です。
ゴロゴロした岩で覆われた 広いドーム状の山頂です

ガスが吹き上げてきて 360度大展望は叶わず、
大集団が次々到着し 山頂には居ずらくなり 移動。

蓼科山頂ヒュッテで 休憩。

11時頃 将軍平へ下り始めましたが 登って来た 中学生の集団、ツアーの大集団で 急下降路は 大渋滞。
すり抜け、すり抜け、11時30分頃には 将軍平・蓼科山荘に到着したようです。

ここも大勢のハイカーで溢れていて 写真を撮るだけで通過。
ほとんどのハイカーが下らない 天祥寺平方面へ コースをとりました。
歩き難いガレた急下降路、コメツガ、シラビソ等の樹林帯の中をひたすら下ります。

途中 枯れた沢が有り そこで昼食。

天祥寺原から見た蓼科山、

天祥寺原から 滝ノ湯沢沿いの緩やかな下りですが、笹等が登山道を覆っていて ほとんど藪漕ぎ状態でした。

14時頃 竜頭橋の駐車スペースに戻り着きましたが 盛夏、炎天下、大汗をかいた山歩きだったように思います。
朝ガラガラだった竜頭橋駐車スペースも ほぼ満車状態で 人気の山 蓼科山を 実感したものでした。

 

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キョウヨウ 有る?

2017年10月04日 09時08分37秒 | 暮らしの記録

根っから 気まぐれな性分だと 自認している爺さんです。
やることなすこと、適当、アバウト、いい加減・・・。
それでも 仕事を続けてきた昨年までは 常に手帳の予定表を見ながら、それを消し込みながら 絶対に間違いを起こさないように 行動してきたように思ってはいます。
「手帳が頼りの爺さん」、「キョウヨウ?とキョウイク?の有る老後の暮らし」等と 当ブログに書き込んだことも 有りました。

長年の習慣で 今でも手帳を持ってはいますが ほとんど白紙の日が多くなって 無用の長物になりつつ有ります。
ただ 寝起きに ふっと 「キョウヨウ 有る?」と 自問すること度々。
身に染み付いた生活習慣は なかなか修正が効かないものなのかも知れません。

「教養は 無いけど 今日 用は有る」「手帳には 予定入って無いけど・・・」と 自答して 1日が始まります。

若い頃は テレビ番組の「ニュースステーション」等を見てから寝るような 結構 「宵っ張りの朝寝坊」の方でしたが 最近は テレビは ほとんど見なくなっています。
その分 PCに向かっていて 「宵っ張り」の方は 以前と左程変わっていないような気がするんですが 加齢と共に 朝の目覚めは早くなり 5時前後には 自然と目が覚めてしまいます。
そんな朝の時間帯、
なにしろ 気まぐれな性分、天気次第、体調次第、気分次第ですが 周辺を歩くことにしている今日この頃なんです。
今朝は 曇天、気分乗らず 20分程で戻ってきてしまいました。

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