妻が 健康体操サークル仲間から 栗を手に入れてきました。
もう 栗が採れたの?、
農家の奥さんとのことで 栗生産も手掛けているお宅なのでしょう。
一足早く 秋の味覚を味わうことが出来そうです。
妻が 健康体操サークル仲間から 栗を手に入れてきました。
もう 栗が採れたの?、
農家の奥さんとのことで 栗生産も手掛けているお宅なのでしょう。
一足早く 秋の味覚を味わうことが出来そうです。
昨年2017年7月18日に 惜しまれながら105歳で亡くなれれた日野原重明氏の記憶はまだ新しい。
聖路加国際病院の理事長・名誉院長を務めておられ、晩年 100歳を超えても尚 2~3年先までスケジュールが一杯という多忙な日々を送られていた。
生涯現役を標榜し 生前 「少なくとも 110歳までは 現役を続けることを目標にしている」と 語っておられたことが 特に印象に残っている。
故日野原重明氏が まだ現役医師として 日々の睡眠時間が4時間半、週に1度は徹夜するといった活躍をされていた頃(90歳の頃)、 2002年に 幻冬舎から発行された書、「人生百年私の工夫」が 本棚に有ることに気付き 改めて読んでみた。
多分 発行された当時 話題になり 興味関心持って買ったのだと思われるが もう15年~16年間前のこと、まるで記憶に残っておらず 初めて読むような感有りだ
当時は まだ仕事もしており多忙、年齢的にも ある種 他人事の如く、斜め読みをしていたのかも知れない。
後期高齢者になっている今、書の真髄が 読め込めるような気がする。
日野原重明 著 「人生百年私の工夫」
(目次)
「はじめに」
第1章 長く、豊かな「人生の午後の時間」が始まる、
第2章 年とともに 自分の人生を自由にデザインできる人、
第3章 生きるということはアートである、
第4章 ライフワークを持つことが若さの秘訣、
第5章 ストレスを楽しみ、活かすことで脳も若返る、
第6章 人生後半の健康づくりは「怠けず」「慌てず」「油断せず」
主として 60歳以上の読者を想定して書かれているが それより若くても老け込んでいる世代にも なんらかの人生の指針を与えてくれる書だと思う。
(抜粋)
「つねに上り坂をのぼっている気持ちで」、
人間の体力や頭脳は 使わないと どんどん退化します。とくに老人の場合には 「使わない症候群」とでもいうべき一種の病気にもなりかねません。
「いつかはああなりたいと憧れる「生きた教科書=モデル」を探そう」
「ああいう人になりたいな」と 漠然と思っただけで努力をしなければ 月を仰ぎ見て吼えるだけのオオカミと同じです。
「現代は 先を急がず 「八十歳にして天命を知る」時代」
孔子は 論語の中で 「四十にして惑わず」と言いました。しかし 今の人たちは 六十歳になってもまだまだ惑っているようです。(中略)、
私は この論語でいう年齢を現代社会では 三十歳ずらして考えてもいいのではないかと思っています。
「新しい習慣づくりが 「新しい発想」「新しい緊張」を生み出す」、
何年かに1回は 習慣を大きく変えてみるのです。(中略)、いつまでも 古い軌道の惰性で生きていてはいけません。そしてつねにある程度の緊張感を持っていれば 老いるスピードは鈍るのです。
人生百年時代、60歳は折り返し地点、20年、30年、40年・・・、たっぷり有る 「人生の午後の時間」、
かってのような「余生」等と 言っておれなくなり、人生の大先輩の生き方、考え方の随所に ハッとするヒントが見出せるような気がしてくる。