図書館から借りていた、浅田次郎著 「壬生義士伝」(上)(下)(文藝春秋)を、やっと、やっと読み終えた。つい数年前まで、読書の習慣等まるで無かった人間、もちろん、浅田次郎の作品等も全く読んでいなかったもので、今回の「壬生義士伝」が、初めて読む作品である。
解説によれば、「壬生義士伝」は、浅田次郎にとっては、初の時代小説なのだそうだが、長年、綿密に取材を重ねられた、実に内容の濃い長編時代小説で有ると思う。読み応えがある。
時は幕末、東北盛岡藩の下級藩士だった吉村貫一郎が 貧困に喘ぐ家族を救うため、最愛の妻しづ、嫡男嘉一郎、娘みつを残して脱藩し、新撰組の隊士となるが、南部訛り激しい朴訥な人柄でありながら 北辰一刀流免許皆伝の腕前が認められ、一目、二目置かれる存在になっていく。
しかし 時代の流れには逆らえず、鳥羽伏見の戦いで敗走、深傷を負いながら大阪の南部蔵屋敷にたどり着くところから 物語が始まっている。
(序) 「慶応四年旧暦1月7日の夜更け、大阪北浜過書町の盛岡南部藩蔵屋敷に 満身創痍の侍がただひとりたどりついた」
しかし 盛岡藩時代、旧友だった蔵屋敷差配役の大野次郎右衛門からは 切腹を命じられる。
切腹するまで時間の貫一郎の心の叫び、義、家族への愛、友情を 随所に描きながら
物語は 大正時代になってから 北海道出身の記者が 貫一郎を知る人物、新撰組の生き残りや盛岡藩の関係者、貫一郎の子女等を 次々訪ね歩いたり、手紙のやりとりで聞き取り調査をしていくという筋立てになっている。
大野次郎右衛門は架空の人物のようであるが、
幕末から 「御一新」を跨いで、明治時代、大正時代を生きた人物の語りで 新撰組や吉村貫一郎等の人物像が明らかになっていくという物語である。
吉村貫一郎にスポットをあてた新撰組物語であり、いたるところで、激しい南部訛りが使われており 他の新撰組小説とは かなり趣が異なるような気がする。