足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その24
世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
出典
新勅撰集(巻八)
歌番号
93
作者
鎌倉右大臣
歌意
この世の中は、永久不変であってほしいものよ、
波打ち際を、漁夫の小舟が、綱で引かれていく風情は、
しみじみといとおしいものであるよ。
注釈
「常にもがもな」の「常」は、「無常」の反対語で、「永久不変」の意、
「いつまでも変わらないでほしいものだなあ」の意。
「渚こぐ」の「渚」は、「波打ち際」の意。
「こぐ」は、「渚から小舟の引き綱を引く」の意。
「あまの小舟(をぶね)の」の「あま」は、「海人」「漁夫」のこと。
「綱手(つなで)かなしも」の「綱手」は、引き舟のへさきに付けた綱のこと。
「かなし」は、「愛し(かなし)」で、「いとおしい」の意。
広い海の波打ち際で、
小さな舟が一筋の綱で引かれている一点景を詠んでいるが
作者には、それが、はかないもの、いとおしいものに
感じられたのだろう。
世の中は、そんなはかないものであってほしくない、
無常であってほしくない、と
世の中の無常を嘆いている歌である。
この歌の「本歌(ほんか)」二首、
川上(かわのへ)の ゆつ岩むらに 草むさず
常にもがもな 常処女(とこをとめ)にて
(万葉集・巻一)
陸奥(みちのく)は いづくはあれど 塩釜の
浦こぐ舟の 綱手かなしも
(万葉集・巻二十)
鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)
源頼朝の次男、源実朝(みなもとのさねとも)、
母親は、北条時政の女政子、
12歳で征夷大将軍になり、27歳で右大臣となったが、
翌年、鶴岡八幡宮参拝の帰途、
源頼家の子で、甥の源公暁(みなもとのくぎょう)に暗殺された。
京の文化に憧れ、藤原定家に師事、
新古今風時代に、格調高い万葉調の歌を詠んだ。
家集に、「金槐集」がある。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)
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