長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっている。今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真を「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真が消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
古い写真から蘇る思い出の山旅・その23
「五竜岳から唐松岳」(再)
ちょうど22年前の今日と明日、2000年9月5日~6日に、妻と次男(当時、大学生)と三人で、「五竜岳から唐松岳」を訪ねたことが有った。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいたことが分かったが、なんとなく懐かしくなってしまい、改めて、コピペ・リメイクしてみた。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、引っ張り出してみた。記憶はどんどん曖昧になってきているが、写真や、当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。
深田久弥著 「日本百名山」
「五竜岳(ごりゅうだけ)」
(一部抜粋)
北安曇から後立山連峰を眺めると、高さは特別ではないが、山容雄偉、岩稜峻癘、根張りのどっしりした山が目につく。それこそ大地から生えたようにガッチリしていて、ビクとも動かないと言った感じである。これが五竜岳だ。北は大黒の岩峰を経て唐松岳へ続き、南は八峰キレットの嶮によって鹿島槍岳へ連なり、昔は後立山縦走中の難関であった。
(中略)
後立山連峰という呼び方は、北アルプスが一般登山者に開かれてから通用しだしたものである。藩政時代の絵図にも後立山という名はあった。しかしそれは立山(りゅうざん)から見て黒部川の対岸の山を後立山(ごりゅうざん)と称したのである。
(中略)
後立がいずれの山を指すかについては、初期「山岳」誌上で盛んな論争があったが、ゴリュウが五竜に通じる点から、今の五竜岳であろうという説が勝を占めた。しかしその後いろいろ検討の末、昔の後立は今の鹿島槍に相当することが確定的となった。
信州側では、戦国時代この地方が武田信玄の勢力範囲だったので、山の残雪の形が武田菱に似ているところから、御菱(ごりょう)と呼んだ。それがゴリュウに転訛したという説があるが、確かな文献はない。山麓の人々は割菱ノ頭と呼んでいた。
ゴリョウに五竜という宛字をしたのは、この山に最も早く登った三枝威之介で、明治四十一年(1908年)七月のことだった。それ以後五竜は確固として動かなかったが、この軽佻なところの少しもないガッチリした山に、五竜という重厚な名は全く打ってつけだと思う。
(後略)
山行コース・歩程等
(1日目)テレキャビン山頂駅(アルプス平駅)→地蔵ノ頭→(遠見尾根)→見返りノ坂→
一ノ背髪→二ノ背髪→小遠見山山頂→中遠見山山頂→池・広場→
大遠見山山頂(巻き道)→西遠見山山頂(巻き道)→白岳山頂→五竜山荘(泊)
(標準歩行所要時間=約5時間40分)
(2日目)五竜山荘→五竜岳山頂(往復)→五竜山荘→大黒岳(巻き道)→唐松岳頂上小屋→
唐松岳山頂(往復)→唐松岳頂上小屋→丸山ケルン→(八方尾根)→上ノ樺→下ノ樺→
八方池・第3ケルン→八方池山荘・第1ケルン
(標準歩行所要時間=約7時間30分)
(朝日新聞社の「週刊・日本百名山」から拝借)

(1日目)
やはり、前日、早めに仕事を切り上げて、仮眠し、真夜中に、自宅を出発、
朝8時頃に、五竜とおみスキー場テレキャビン駐車場に到着したようだ。
8時30分頃のテレキャビンに乗り、約10分で、
標高1,515mのテレキャビン山頂駅(アルプス平駅)に到着。
8時45分頃、スタートしたようだ。
最初は、お花畑となっているスキー場のゲレンデを登っていく感じだったと思う。
約30分で、ケルンの有る、地蔵ノ頭(標高1,676m)に着く。

次第にガスがたちこめてきて、展望が無くなってしまった。
小遠見山山頂(標高2,007m) 中遠見山山頂(標高2,037m)

展望無く、足元の高山植物に励まされながら、ひたすら登るのみ・・・、
当時は、高山植物の花名も知らず分からずで、
後年になって、花名同定してみたが、ピンボケ写真で、不明も多しだ。

シモツケソウ

オヤマリンドウ? ミヤマウツボグサ?

ミヤマシシウド?

ミヤマコゴメグサ? ミヤマノギク?

大遠見山山頂(標高2,106.3m)は、南側を巻いて通過、
池塘有り、濃いガス覆われ幻想的?、
ここで、早目の昼食にしたようだ。

コバイケイソウ? タテヤマリンドウ?

気温上昇、湿気が強く、汗だくになり・・・

イブキジャコウソウ? ウメバチソウ?

オオヒョウタンボク?

チングルマの花柱 ツリガネニンジン?

ウサギギク? ?

イワショウブ? カライトソウ?

西遠見山山頂(標高2,265m)も、山頂を巻いて通過、
左側からシラタケ沢の沢音が聞こえて来る辺りから、次第に岩場の急登となり
14時頃、白岳山頂(標高2,541m)に到着、
富山県側には、ガスが掛かっておらず、
濃いガスの中、長い遠見尾根をひたすら登ってきた者には、
稜線上の涼風と展望は、なによりのご褒美。
ヤッホー!


14時30分頃、五竜山荘に到着したようだ。
宿泊者少数のため、個室状態。
雨濡れではなかったが、湿気と汗の衣類を乾燥室で乾かす。
夕方、五竜岳や夕焼けを見にぞろぞろ・・、

期待した程の景観にはならなかったが・・・、

夕食は、17時30分からだったようだが、冷え込みが厳しく、
翌日の好天を期待しながら、20時頃には、布団に潜り込んだようだ。
(つづく)